環境と認知の相互参照
ヒトは環境に介入する生き物です。
また、環境もヒトの意識に介入します。
簡単な言葉で言い換えると。
ボクサーは練習を考えることで環境に介入します。そして、練習の結果から学び(環境からの介入)ます。
環境が観測者を、観測者が環境を、これが延々と際限なくに繰り返されます。
このように要素同士が相互参照するシステムにおいては、小さな揺らぎが爆発的に増幅されます。
例)ボクシング
体重移動打法は物理的にパンチの距離が近くなります。
それは打ち合いの確率を高めます。
体重移動打法その性質上、インサイドでの打撃に物理的な制約があります。
要するに、体重移動打法はインサイドで強いパンチが打てません。
つまり、体重移動打法ではインサイドで相手にダメージを与えられません。
上記の距離が近くなる性質と合わせるなら、「パンチが弱いのに近づかなけらばならない」という、残酷な事実を導きます。
結果的に「体重移動球法」は「殴り合いの根性勝負(泥仕合)」になる傾向を高めると考えられます。
これがカスケード連鎖です。
また、体重移動打法同士の試合なら、頑張った方が勝ちます。
体重移動が支配的環境でなら
頑張る⇒偉い
という価値観を形成される確率が高まると考えられます。
つまり、「体重移動打法」が支配的な環境では、練習や技術の「効率」を無視することを肯定します。
以上は超乱暴な推論です。「破滅の自己組織化」や「カスケード連鎖」がわかりやすいように単純化しています。
再帰的なシステム(※)においては、小さな変動が致命的なまでに増幅されてしまいます。
井上尚弥と同じ才能であっても、環境次第では破滅の自己組織化が起こります。
才能は平均的なら、人脈が人脈を呼ぶ、金が金を呼ぶ、知識が知識を呼ぶ、技が技を呼ぶ…の自己組織化の環境を意図的に構成する必要があります。
デッドスパイラル
僕たちの認知機能には、誤った現実の認識に基づいた行動が、さらなる状況の悪化を招く論理的な構造があります。
間違いが一定の閾値を超えるとシステム全体は、すなわち人生やボクシングは、崩壊に向けて自己組織化を始めます。
「膝を曲げる」「踵を上げる」「顎を引く」「体重移動打法」…などなどは、崩壊を自己組織化する論理的な構造があります。

コメント