選択公理が要請された理由

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選択公理

今回の主題「選択公理ってどうして必要なの?」について。

この疑問への出発点は下の定理です。

「集合Aから集合Bへの全射が存在するならば、BからAへの単射が存在する」

ぱっと見の直感は
「自明では?なぜワザワザ定理として明示する必要あった?」
です。

直感的には「全射の対応関係の中から一つだけ選んで反転させれば良いだけ」なので。

しかし甘かった。

こう感じてしまったのは、僕が有限の直観に無自覚に従っていたからです。

無限集合を考えると有限の直観が通用しなくなります。

この疑問を考える過程で遭遇したのが「選択公理」です。

これは無限を記述する言語です。

と言うわけで選択公理についてGgeminiと議論したことをまとめます。
間違えている部分があるかもしれませんので悪しからず。

アルゴリズムが特定できない

「集合Aから集合Bへの全射が存在するならば、BからAへの単射が存在する」

前述のように、これを見たとき、多くの人は僕のように「そりゃ自明でしょ」と思うのではないかなと。

「全射なんだから、行き先から元の場所へのリンクを「適当に一つ選んで戻すだけじゃないか」と。

しかし実は、この「一つ選ぶだけ」という直感的な自明性こそが、現代数学を真っ二つに叩き割った巨大な境界線への入り口なのです。

例えば「有理数の全体集合」は「整数の比」として、その性質を一つのアルゴリズム(#)として記述して写像が構成できます。
つまり「選択」ができます。
#指定規則や計算規則

個別になら、円周率は「直径と円周の比」、ネイピア数は「微分した値が自分自身になる関数」として定義はできます。
しかし、「無理数の全体集合(無限集合)」を指定しようとした場合はアルゴリズムが決定できません。

つまり単射を構成できません。

例えば「有理数と無理数を対応させよう!」と考えたとします。
前述のようにピンポイントで個別に無理数を指定することはできます。
しかし例えば適当に
$\frac{1}{n}→x$
と規則を定めて「構成(選択)できた!楽勝!」と思ったとしても、残念ながらこれは構成上は必ず代数的数や有理数になっています。

そらそうです。「普遍的な規則性がないものの集まりが無理数」なのだから。

つまり「個別の数が独自の規則を持つ無理数を含む要素が『実数』なのだから、言い換えるなら『単一の規則で既述できない無限の情報量』が無理数であり、それを含む集合が『実数』なのだから、選ぶ(有限の規則の構成)で取り出すことは、論理の構造上は不可能なのです。

実数の有限集合なら地道に「これとこれ」「あれとあれ」と一つづつ構成できます。

「よっしゃ、じゃあ数学的帰納法でやっつけてやる」と意気込んでみても、無限個存在する無理数の規則を一つづつ記述するわけにはいきません。
つまり、「有限個の記号で記述しろ」という数学的帰納法(及び数学)の要請と矛盾し破綻します。

僕は「選ぶ = 選択のルール(アルゴリズム)を明示する」 という暗黙の枠組みの存在を厳密には認知しておらず、何となくの感覚で「選ぶ」を理解していたので気が付くのに時間がかかりましたが、前述の通り、実数の混沌に対しては「選択」のルール(規則)を決めること自体ができません。

ルールが決められない以上、通常の数学(構成的アプローチ)では「選べない」という結論になります。つまり、従来の「選ぶ」という言葉の定義(=規則を決めること)のままでは、無限集合の壁を越えられなくなってしまうのです。

思うに、カントールなどの偉大な数学者の問題意識はここなのではないのかなと。

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Die Hard – ダイ・ハード
この記事を書いた人

第41第東洋太平洋(OPBF)ウェルター級王者
元WBC世界同級34位
元WBO-AP同級3位
元角海老宝石ジム所属

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