直観主義
直観主義は僕のように背理法や実無限に違和感を覚える勢力です。
対角線論法は頭では理解しますが、背理法による$ℵ_{0}<ℵ_{1}$は、力づくに見えてしまいます。
否定はできませんが。
直観主義は人の認識を数学の基盤にしたい勢力です。
天才オイラーやクロネッカーがそうだったとのこと。
実無限という単位?対象?を用意すれば
「穴が空間が無限に密集している空間が無限に密集している空間が無限に密集している…」とか、「宇宙の始まりの始まりの始まりの…」とか、ヒトの知覚が及ばない何かしらの対象を有限回の手続きで処理できそうな気がしてくるので、その意味で道具としてはとても便利なのだろうとは頭では理解します。
しかし心は、「数学の始まりの基盤が人の認識なのだから、そこから逸脱したらダメでしょ」と叫んでいます。
形式主義は「数学はただの道具なんだからさ、もっと自由で良いでしょ?」って勢力です。その通りだし、だからこそ面白いのと感じます。
どちらが正しいか、というよりは哲学の問題だとは思います。
制約が小さい分だけ、現実の運用において有用なのは形式主義だとは思います。
どちらの言い分もわかります。
20世紀初頭の数学基礎論における形式主義と直観主義の論争は、「数学の真理とは何か」を巡る対立です。人間の心的な構成を重視する直観主義に対し、記号操作の体系で数学の無矛盾性を証明しようとした形式主義が激突し、数学の哲学における大きな転換点となりまし
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