「自立」と「自由」が社会に住む個人の目標

よもやま話メンタル

娘が生まれ、またSNSをやるようになってから、社会の在り方とそこに住む個人の生き方について考える時間が激増しました。親としての本能だと思います。とても楽しい時間です。二十代は興味のなかった本が書棚に並んでいます。

その中で行き着いた現時点での僕の答えを共有します。

社会に住む個人が何を目指しいるのかと言えば、それは経済的または精神的な自立と自由だと思います。それが大人になるということでもあります。

親元を離れて就職をすることだけでは自立とは呼べないはずです。その前提によって達成が近づくことはありますが、あくまでも必用条件であり十分条件にはなりえません。

例えば、就職した先の会社で自分の信念に反することをやれと言われた場合に「それは嫌だ」と言えないのなら、それは依存先が親から会社に変わっただけです。

そして、もしも「嫌なら辞める」ができないのなら、それは時間と共に「安心」という、免罪符と同じ詐取の構造へと変化していきます。

あえて今、安心を買うのを止めることは、将来の自立の為に必要だと思います。嫌なことには嫌だと言える真の意味での自立を目指さなければ、依存心に付け入られ死ぬまで詐取されます。

自立した人の「嫌なら辞める」は交渉の切り札となり、会社や社会からより有利な条件を引き出します。そうやって自分の利益を引き出すことこそが自由であり、自立の意味だと僕は考えています。

アメリカ人が経済に強いのは、国の掲げている理念が個人の自立を演繹するからでしょう。
逆に言えば、日本の同調圧力は「他人に従えば安心」を演繹してしまう前提となり、自立からは遠ざかります。

本来の「和を以て貴しとなす」は仲良し小好しの依存心に由来するものではなく、自立した個人の議論により物事を決めなさい、という意味だっただろうと思います。本当に仲良し小好しを推し進めれば、共産主義のように崩壊するはずだからです。

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第41第東洋太平洋(OPBF)ウェルター級王者
元WBC世界同級34位
元WBO-AP同級3位
元角海老宝石ジム所属

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