「意識→無意識」ではなく「無意識→意識」が運動学習の因果関係なのかも

トレーニング

最近強く感じることです。
学習というのは無意識から意識に上がってくるものなんじゃないのか?ってこと。

僕は動作を教えれば教える程、動きをギクシャクさせて下手にさせてしまう現象に2か月ほど頭を悩ませてきました。
原因を究明しようと選手、練習生達に協力してもらって色んな実験をしてそれを観察し、また同時に自分自身の内部の感覚の観察を行いました。
それらによって得られた情報を元に論理を組み立てて発想を飛躍させることでこの仮説へたどり着きました。
現在、この長濱仮説に基づいて選手を指導しています。
そして、大きな成果を上げていることを実感し自信を深めています。

意味不明だと思うので解説します。

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自然な動作を生む本能的な動作

海外は分かりませんが、日本のスポーツ指導の現場で言われているのは「意識→無意識」です。
意識的な反復を繰り返すことで無意識にできるようになるという指導方法、論理。
常識化していると思います。

元々天邪鬼で常識を押し付けられるのが大嫌いな僕はこの指導方法を完全否定はしないまでも大きな疑いを持ち始めています。
意識→無意識ではなく、無意識→意識が合理的な学習ではないのかと。

上の動画で解説します。
一番上の中学1年生はボクシングを始めて1か月。
彼には具体的な動作は教えていません。
リンクのように競技動作に繋がりそうなイメージだけ、「腕を高速でしならせろ」「うんこを避けろ」みたいなことだけ伝えています。
他にも数人、この練習をさせています。

彼らはこの練習をして驚きます。
自分ではできると思っていなかったようなクリエイティブな動きができてしまうからです。
彼らは僕にこう言いいます。
「こんな動きができるとは思わなかった。驚いた」と
これが僕の言いたい部分です。動作が無意識から意識へ上がってきたことを意味しています。

僕が実践し、推奨する新しい動作学習方法です。
学習させたい競技動作が無意識に起こる練習の方法を考え、実践させる。選手はその動作ができることを練習の最中、または練習の後から認識する。
できた後で学習するってことです。これまでの指導方法と因果関係が真逆になります。
動作そのものは教える必要がありません。

教えていないことが何故できるのか?
その理屈について説明します。

本能的な動作

人間は生まれた時には歩けないし走れません。
でも学習します。
赤ちゃんには言葉がありませんので、当然概念も持っていません。
つまり、学習において「歩こう」が先行するのではなく「歩いた」という事実の後で「歩く」という概念が形成されるということです。

僕の娘を見ていると強くそう感じます。
彼女は歩くことはできます。なんならもう小走りもします。
しかし、ハイハイもするんです。
どんな時に歩くかといえば、物を両手で持っている時。ハイハイができない時です。
そんな時に立ち上がって歩きます。
恐らく、まだ「歩く」という移動方法を認識していないのだと思います。
両手が塞がっている時に「進みたい」と感じると歩き出す。

綺麗な字を書こうと思っても書けませんよね。綺麗な字を書いた後で筆圧、筆を進める速さ、持ち方などが分かるようになります。

箸の複雑な動作を理解していますか?
多分、何となく使っていると思います。

僕達人間は頭が良く、意識を持っているが故に意識→無意識と学習の順番を認識をしてしまっていますが、効率的な学習の因果関係は無意識→意識となっているのではないでしょうか。
これが一つの仮説です。

もう一つの仮説は僕たちは新たにスポーツを始める前に、既にあらゆる動作を習得しているのではないか?というものです。
例えばパンチ。
これは物を投げる動作を流用すればいい。パンチを避けるディフェンスの動作は飛来物を躱す本能的な動作をそのまま流用すればいい。
ボクシングジムで動作をいちいち教える必要はなくて、イメージと動作を結びつける作業をするだけでいいんじゃないか?ってことです。

ボールが急に飛んできたら顔を背けて顔面を隠します。
重い物を持ち上げる時は自動的に腰が入ります。
自然な動作です。

腰の回しすぎ問題で議論したことでもあります。パンチでも上記のような本能による自動システムが腰の回転角度を調節し、意識的にはできない絶妙な回転を行っていると仮説を立てました。
意識的な動作で習得した場合、距離など関係なく必ず一定量腰を回そうとするため、拳が大きな運動量を持つ前に目標に衝突し、衝撃が小さくなります。

しかし「腕を高速で動かす」意識なら、自動システムの計算により全身で最適な動作が行われます。
淀みない自然な動きです。走る時に自然に腕が振られるような、連続した継ぎ目のない動き。

バランスを崩して転ぼうとしたときに一瞬にしてバランスを立て直す計算処理を潜在意識(本能)は行うわけなので、意識的には行えない高度な計算能力を持っていると言えます。
この能力を使おうという発想です。

上のリンクにもあるように「うんこを避けろ」と伝たのは、汚いものに触れたくないという本能を呼び覚ましたかったからです。
そうすることで顔面の重心を自然と隠します。
そこには意識がないから高速に淀みなく身体が動きます。

本能による自動システムを開放した状態が「ゾーン」と呼ばれるものではないでしょうか。
自動システムにより、勝手に体が動くからこそ「ただ見ていた」「自分じゃない何か」、ゾーンを体験した人達はそう伝えているのではないでしょうか。

自動システムの起動方法は以下のリンクから。

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Die Hard – ダイ・ハード
この記事を書いた人

第41第東洋太平洋(OPBF)ウェルター級王者
元WBC世界同級34位
元WBO-AP同級3位
元角海老宝石ジム所属

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コメント

  1. 読者です! より:

    座禅系統だと仏性見出すだとか、父母未生以前の本分を見出すとかいうところですね。
    座禅も座っているだけだからかえって難しくしているだけで、いろいろ動いて探る方がいいような気がしております。

    ゾーンだ、ゾーンだ、とさも特別なことをいいますけれど、あれはまだまだわかってないからと思います。その人のレベルの高低がどうであれその人なりに普段からそうである、それ以外できない。しかし、文明社会だと答えをすでに与えられていることが多いから、なかなかわかりにくいだけなのかななと。その場合、ゾーンが教科書ってだけではないか。

    答えを与えられているのに慣れているから、独力で探求することが疲れてできなかったり、いや軽くパニクる人も多かったり。

    • コメントありがとうございます。
      ゾーンというのは抽象的な表現ですし、今のところは科学ではありませんので言いたい放題しているわけですが、「自分で答えを探そうとしない」というのは何でも探せば出てきてしまう現代病なのかもしれません。
      この件に関してはもっと深く追求してみたいと思いますので、気が向いたらコメントお願いします。

  2. 虚明自照(光明) より:

     ≪…因果関係は無意識→意識となっているのではないでしょうか。…≫を、わらべうた「さよなら三角、またきて四角」に想う。たいてい、[さよなら 三角 さんかく 、またきて 四角 しかく 特別の意味はない。]としている。
     数の言葉ヒフミヨ(1234)を〇△▢の世界で観ると数の世界が、1・2・3・4次元で閉じ(計算し)ている数の言葉が、≪…動作が無意識から意識へ上がってきたこと…≫のように観える。
     令和6年4月に開設の岡潔数学体験館で、この光景を[コンコン物語」で観られるといいなぁ~ 

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