人の不幸の正体 主観と客観の混同

よもやま話

不幸は主観と客観の混同により起こっているとする長濱説です。

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不幸と不運

客観と主観

主観は「自らの純粋な欲求」。客観は「他者があなたに期待しているはずだと”あなたが”勝手に考えた欲求」、つまり妄想です。
どちらも自分の中から湧き上がるもので簡単には区別が付けられません。
潜在意識を覚醒させるのが難しいと言われるのは掴みどころのない感覚がその正体だからだと思います。潜在意識はありふれた感覚なんですが、客観(言語)に慣れ親しんでいる僕達大人はこれを感じる能力が退化しています。

主観と客観がごちゃ混ぜになって「自分がやりたいこと」と「他者に期待されているという妄想」の区別ができなくなった時に不幸が訪れます。断言しますが誰も僕にもあなたにも期待なんてしていません。自分のことに必死です。

分かりやすいのが「お金」「安定」「(経済的)合理性」といった誰かに植え付けられた固定観念。それらが人生で最も大切なのだという妄想に囚われてしまうと、死んでも満足は得られません。あなたにとって真に守りたいモノはきっと他にあるからです。金と安定は、それ自体にではなく、それらを消費して実現される何かに価値があるはずです。
心が客観に縛り付けられたままではどれだけ努力してもどれだけ他人から評価されても、空虚なままです。

僕が思うに人の不幸の大枠はこれ。
主観と客観を混同し自分が誰なのか知らないまま誰かの要求に応えるだけの人生を送ってしまうこと。

自分の意思で死を選択するのならそこに誇りはあっても不幸は無いはずです。
しかし主観と客観を混同し自分が誰なのか知らないまま、どこの誰とも知らん奴に振り回されて死ぬのならそれは不幸だと思います。

ところで、上記のような客観(同調圧力)は個人の心の中にあるだけで実体はありません。俗にいうアビリーンのパラドックスです。
人類が知らぬ間に作り上げてしまった、ただの社会の空気です。虚構なのだから誰もそれに従う必要はないはずなのに、強力な拘束力を持ち人類を支配しています。この実体のない空気、同調圧力の正体こそがウォシャウスキー兄弟の言うマトリックスであり、そのマトリックスの構造を見抜くことがブッダのいう悟りであり、そこから抜け出すことが解脱です。
マトリックスの中にいる限り不幸は終わりません。

【アビリーンのパラドックス】
集団内のコミュニケーションが機能しない状況下、個々の構成員が「自分の嗜好は集団のそれとは異なっている」と思い込み、集団的な決定に対して異を唱えないために集団は誤った結論を導きだしてしまう。アビリーンのパラドックスは「事なかれ主義」(avoiding “rocking the boat”)、集団思考の一例としてしばしば言及される。

Wikipedia
アビリーンのパラドックスについて

不運は偶然起こる

不運は誰にでも平等に起こりますが不幸は自分を見失った人にのみやってきます。
信念のある人にとっては不運は試練でしかありません。自分で選んだのだからそれを乗り越えようとする強い動機が常にそこにあり、きっとその試練を乗り越えていけます。仮にそれで死んだとしてもそれは覚悟の上でしょう。晴れ晴れと天国へ行けます。

しかし誰かの意思で不運に巻き込まれたのならそれは不幸以外の何物でもありません。その不運に立ち向かう動機も力もなく、ただただ無抵抗にその渦に飲み込まれていくしかないのですから。

安全に囲まれた動物園の動物が野生の半分しか生きられないのは、一見すると安全なそこには安心がないから。
一見すると不安定な野生でリスクを背負い自由を謳歌することにこそ、安心があるわけです。

人の社会もそう。
会社、学校という一見すると安全な檻の中には安心はないのです。

哲学の不在が不幸を引き起こす

僕は少しづつ客観から解脱し主観の欲求に従えるようなっていると感じていて、だからこそ自分が何が好きで何が嫌いかを自覚していないことの不幸を強く感じます。
ボクシングならみんな口をそろえて「世界チャンピオン」。しかしそう言う人の練習や普段の過ごし方を見ているととても本気とは僕は思えません。恐らく90%は客観(常識)に言わされているだけです。

他にも「金持ち」「経営者」「投資家」「人気者」などもそう。
「本気か?」って。
本気でそう思っている奴が今こんなことするか?普段何してんだ?と。
行動との辻褄が合わない。とても主観でそう言っているとは思えず、客観的な「すごい人」を列挙しているだけな気がするんです。しかも残念ながらそれを言うその人はそれに気が付いていません。不幸に片脚突っ込んでいます。

僕の目には「今の現状から目を背けるためにボクシングに逃げている」だけであるように見えます。
普通に働くのは嫌だし手っ取り早く尊敬を集められるおいしいポジションとしてのプロボクサーでいたい。「ボクシングチャンピオンを目指している」と言っておけば一応の現実逃避ができる。周囲の”同意のようなもの”も得られる。

誤解してほしくないので補足しますが、僕は決して現実から逃げているのが良くないと言っているのではありません。
客観に支配され自分の本心が少しも分かっていないから、行動に繋がらず不幸なのだと言っているのです。本心は世界チャンピオンになろうなんて思っていないのに「みんながそう言うから自分もそう言っている」では行動がちぐはぐになります。そこには必ず不幸が引き寄せられてきます。
「ボクシングが長くやりたい」「普通に働くのは嫌だ」ならそれでいいんです。ただ、そこから目を背けずにそう自覚しなければなりません。

自覚することができれば潜在意識は普通に働かないための、ボクシングを長く続けるための知恵をこしらえます。客観に縛られているから人の真のポテンシャルが発揮できないんです。もしもあなたが真のあなたの欲求を自覚し、人のポテンシャルに気が付いたなら、世界チャンピオンですら不可能ではないと思えてくるはずです。

「世界チャンピオンになる」ではなく「世界チャンピオンにしてほしい」と子供のような発想でボクシングをやっていると自覚しなきゃ始まらんのです。

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Die Hard – ダイ・ハード
この記事を書いた人

第41第東洋太平洋(OPBF)ウェルター級王者
元WBC世界同級34位
元WBO-AP同級3位
元角海老宝石ジム所属

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