メンタル

メンタル

自然発生した神を心の祠に祀る

不安や恐怖を取り除き心理的な重圧を軽くしようと試みる過程で、僕の心に自然発生的に神が生じてきました。それと同時にどうして人には信仰が必要なのかを理解できるようにもなりました。神の存在意義を科学により一元的に否定してしまうことは損失をもたらし...
よもやま話

精神的自立の為のアイデンティティと大衆化社会の末路

自立した大人とは自我同一性を獲得した人のこと。"自ら"の経験に由来した、何を大切すべきかという善悪の基準を持ち、"自ら"の価値観を実践する人のこと。 アイデンティティ = 魂 SNS大衆社会 僕がこのようなことを考えるようになったのはSNS...
メンタル

恒真な心を目指す

論理学が人の認識を抽象化し一般化させたものだとしたら、恒真式のようにどんな入力に対しても同じ出力を返す心を創れるのではないか?と思うようになりました。 どんな困難に対しても幸福と=で結ばれた動じることのない恒等な心。これが悟りではないかとも...
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メンタル

外的な動機と内的な動機を切り離して心を調和させる

内的な動機と外的な動機 本然を知る 分かりやすいように最初にまとめると。セルフ2=本能=潜在意識=感覚、直感セルフ2=理性=顕在意識=言語本能とは動物的な欲求ではなく、本能にまで落とし込まれた、幼少期から積み重ねられた連続性のことです。本然...
メンタル

何を得るかの前に何を”捨てるか”

一度記事にした気がします。 もしかすると焼き増しですが、このブログ自体が同じ内容を言葉を変えて繰り返してるだけなので別にいいですよね。悪しからず。 何を捨てるかを決めろ 行動を起こすのって難しいし先延ばしにしてしまいがちですよね。そんな方に...
トレーニング

今に集中した結果が限界を引き寄せる

走りながら閃きました。「限界を超えよう」とするから辛いのだと。限「界を超える」のはあくまでも結果であり、目的ではないのだと。 「限界を超えろ」は方便 結末と始り 終わることのない、無限に続く階段の終点まで眺めようとするから気が遠くなるのです...
よもやま話

フローな死

真のありのままを目指して「自分の表現」したいことはなんだろう、どんなボクシングが好きなのだろうと自分に問いかけてきたのですが、それは無駄なことだと悟り始めました。ありのままを目指すこともまた執着です。 動き続ける心を追う徒労 常に揺れ動く自...
メンタル

フローな生き方

ボクシングの世界観は常に今の連続、今→今→今です。実戦では練習や計画は敢えて捨て去ります。 そしてこれはボクシングだけにとどまらず、他のスポーツや仕事、人間関係にも応用できると感じます。運命に身を任せる生き方がフロー。 「流れに逆らわず身を...
メンタル

敵や困難との遭遇は心を調和させる絶好の機会

敵とは困難とは何か。この局面に達することができることがニーチェの言う「小児」でありブッダの言う「悟り」。 人生は自らの真の姿を探す旅 インナーゲームは最終的には敵に勝つことを放棄し、執着を捨てろと説きます。仏教と同じ結論に達するのがまた面白...
よもやま話

「超人」「仏教」「貴族」という生き方

仏教の言う「繋縛」はガルウェイの言う「セルフ1」、ニーチェの言う「末人」であり、オルテガの言う「大衆」、ウォシャウスキー兄弟の「マトリックス」。仏教の「解脱」はガルウェイの言う「セルフ2」。ニーチェの言う「超人」であり、オルテガの言う「貴族...
よもやま話

欠点も困難も含めて自分 全て自分で引き受ける

ボクシングに限らずだとは思いますが、道を突き詰めようとすればするほど自分の未熟さや欠点と向き合う必要が出てきます。自分の弱さに起因した困難とも立ち向かっていかなければなりません。「なんて自分は弱いんだ、ダメなんだ」と悩んだ時期もありましたが...
メンタル

客観 & 熟慮 vs. 主観 & 直感

「インナーゲーム」シリーズ続きます。ガルウェイは明言していないのですが、僕なりの解釈でインナーゲームの本質を抜き出すなら、それはタイトルの通りです。「客観 & 熟慮 vs. 主観 & 直感」。 客観 &熟慮 vs. 主観 & 直感 集団の意...