メンタル

よもやま話

信仰心

上の記事で、「ある宗教の教義とその信者に見られる関係の規則性が、人類の幼児期に見られる親子関係である」場合を「宗教」と定義しました。 親に依存し、親を真理だと信じ、親の言うことは何でも聞く、というような、a〜bの関係です。 この場合は社会に...
よもやま話

「無いものは無い」現実を受け入れること

在るものを大切にする生き方 「真っ暗だ。何も見えない。」 長い動画ではないので、一度見てください。 彼女と同程度の困難を、彼女のような自然さで受け入れられる大人がどれ程いるでしょうか。 僕は28歳の時に目の怪我をしました。視神経二本が麻痺し...
よもやま話

比較と価値の認識

可能性に心を開くことが機会損失を減らし幸運を引き寄せる、という話を別の視点から展開します。 視点となるのは人の認識の原理。 人は比較によって概念を認識します。 1だけでは、それはただの記号でしかありませんが、その後者の2と更にその後者の3を...
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よもやま話

自己喪失と暴力

「自己喪失」は、自分が何者であるのかを見失い、安い安心と安い快楽の為に他人や観念に迎合する性質が顕在化することです。 厳しく言うなら 「普通」「科学」「お金」「基礎基本」 などを信仰するカルトの総称。 普通とは何か、科学とは何か、お金とは何...
よもやま話

幼児性と自己喪失と同調圧力

日経225大暴落しましたね。つられて何もかも急落。 後に振り返った時に、これまでの章とこれからの章の区切りとなる、歴史的に重要な日が昨日だったじゃないかと興奮しています。ボクシング業界もこの影響を受けると予想します。 歴史の目撃者って興奮し...
よもやま話

幸福論 その二

そのニ。その一では人類の認識の原理故に「幸福」を定義し、それを目的とするとそれは達成されないと話しました。この解釈を深めた現時点における僕の幸福論の結論をお話します。 多くの感情を味わいそれを共有できること 思うに、そもそも、楽しいことだけ...
よもやま話

幸福論

人は大昔に「幸せ」を定義し、それを追い求めることを決意しました。それは認識の中にしか存在しないものを追いかけるということ。果たして無いものを追求する不毛な行為に「幸せ」はあるのでしょうか。 この疑念に対する僕の結論を共有します。 幸福論 概...
よもやま話

賢さ≒枠組みの外から枠組みを俯瞰する能力

キリスト教徒はキリスト教という枠組みの中から資本主義や科学を、仏教徒は仏教という枠組みから資本主義や科学を観察します。 逆もしかり。資本主義という枠組みにいるから宗教の枠組みを比較して研究できます。 自分の世界を持つから、それとの比較により...
トレーニング

寝るために起きている

「起きる為に寝る」ではなく、「寝る為に起きている」。そう捉える方が睡眠の質が高まり、覚醒時の効率が高まります。 寝る為に日中は必死に活動します。必然的に練習や仕事中にダラダラせず、妥協なく徹底的にやれます。嫌なことですら「寝る為」が前提とな...
よもやま話

嫌なものは嫌だ戦略

「嫌なものには嫌だ」を認めることが導く結論と「我慢は美徳」という価値観が導かれた前提の長濱説。 「嫌いな人を避けてはダメ」「嫌いな練習を避けてはダメ」「嫌いなことから逃げてはダメ」頻繁に聞く文言ですよね。美徳として強制的に受け入れさせられて...
よもやま話

言論の強さと強さの関係

群れのボスは物語を創造する人です。それは「経済的合理」であり「科学」であり「聖書」であり「仏教」であり「ボクシングの基礎基本」です。他にも沢山あります。それらの物語に人は服從します。 種の保存という観点からはそれが都合が良いのです。愚かで何...
メンタル

妄想を捨てて現実を見る

昨日、長岡の試合がありました。結果は引き分け。優勢点という特別ルールにより、新人王戦は勝ち上がりました。 厳しい評価をすると長岡は毎試合悪くなっています。自らパニックへ陥り打ち合いへ、というパターンが試合ごとに強くなっいます。 昨日の試合は...