「効率よく強くなろう」とする弱さ

よもやま話メンタル技術

それは神(自然)には見抜かれます。
「効率よく」とか「楽に」とか。

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人生の当事者意識の欠如

「楽に強く速く」を推奨していますが、それは紆余曲折の試行錯誤の末にたどり着いた、僕の価値観です。あくまでも長濱説。

苦労して「苦労しないこと」を導く、というのは矛盾していそうですが、少しも対立する概念ではありません。

本題へ話を移します。
上が矛盾しないということも理解できるはずです。

効率的に強くなろうという弱者の価値観

YouTubeの技術論を見て強く(なった気に)なろうという発想そのものが、技術論やボクシングの下僕になる可能性を妊む行為です。

どうして強くならねばならないのか?という部分が時間とともに抜け落ち、ボクシングの為のボクシングになってしまうからです。

「効率よく」という発想の下で練習を行っていると、時間と共にあなたの羅針盤は狂い始めます。
新たな練習を見つける度に、無自覚の方針転換が起こるからです。経験のある人も多いのでは。

旅行の目的が「歴史を見に行く」なのか「街の近代化の雰囲気を味わう」なのかでは、選択する経路が異なります。
目的を定めずに場当たり的な判断で観光地を右往左往しているだけでは、それが終わった後で何の思い出も残っていない、という結末を迎えます。

これも一見するとフローと矛盾するように感じるかもしれませんが、全く対立しません。

フローは心の中にある、”無自覚の”欲求に従うことです。顕在化しない欲求に従うのであって、無意味に動き回ることとは異なります。「どこへ行くべきか」ではなく「どこへ行けばワクワクするか」といった欲求を先行させます。

旅行に行くのなら、潜在的であれ顕在的であれ、ある目的の遂行の為であるはずです。旅行ありきの旅行ではなく、歴史探求であったり新たな価値観に触れることであったり、何かしら主観的な目的があるはずです。客観的な観光地を右往左往するのとはまた異る論理です。

脱線が多くなりましたが、僕が言いたいのは、「ボクシングで何を表現しているのか?」ということをきちんと問い続けなければ、技術論に飲み込まれて、アルファとしての自我を失ってしまう、ということです。

自我=生きる指針

「効率よく」という無価値に最も価値のある自我=生きる指針を支払っていないか?ということを確認してみてほしいのです。

僕の技術論を従えているのか?それとも一見すると正しそうな論理に従っているだけなのか?

ボクシングジムでもそう。
あなたの最も大切な魂が、技術論や指導者の承認欲の為に消費させられていないのか、を問い続けてください。

あなたに自由を与えてくれる人なのか、それともあなたから自由を奪う人なのかは心で感じられるはずです。

ボクシングで何を表現しているのかを技術論に簡単に明け渡してしまうと、最終的には自己喪失してマトリックスに取り込まれます。

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瞑想のやり方

Die Hard – ダイ・ハード
この記事を書いた人

第41第東洋太平洋(OPBF)ウェルター級王者
元WBC世界同級34位
元WBO-AP同級3位
元角海老宝石ジム所属

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