遠ざけるべき態度

よもやま話メンタル

「トレーナーに〇〇と言われました。間違えていますよね?」

「〇〇と✕✕と△△をしています。強くなれますか?」

「僕の〇〇はどうですか?できてますか?」

知らんがな。教えて欲しければ金を払え。

自らの意思で「どうしたいのか」「どうすべきなのか」を判断し、自らの責任において実行するのが大人。誰かに一々を認めてもらう必要があるのが子供。

僕は僕を利するわけでもない他人に興味はありません。きっとあなたもそう。誰だってそう。

「大人」とは「子供」とは
仏教的な概念で「大人」とは「子供」とはを定義しようって試みです。大人とはある年齢に達すると自動的に得られる「記号」ではなく、大人という理想の生き方を追求することで与えられる「名誉ある称号」であると言っています。 「大人 = 旦那 = ダーナ...

暇なら無責任にテキトーなことを言うかもしれません。忙しければ無視します。

長岡は僕の指導に対価を支払います。僕はそれに見合うだけの成果を彼に保証します。ボランティアでも馴れ合いでもなくビジネスです。だからこそ、僕は成果を挙げる方法を必死に考えます。

仮に互いが互いの義務を果たせなくなれば、それで関係は終わり。

それが大人の関係。無意味に乳繰り合うのは恋人同士か親子だけです。大人の男はやりません。

僕に限らず、他人に本気で教えを乞うなら、金などのそれに見合う対価を相手に支払うべきてす。逆の立場ならどうしますか?あなたは仕事やアルバイトをタダで引き受けますか?”絶対に”しませんよね。

金を払うということは、相手にその責任を負わせること。これで初めて他人同士は人として対等な立場になります。

ボクシングに限らず、YouTubeやSNS、職場や家庭で、「ダレかナントカして」「ボクはワルくない」「ボクをミトメて」などと幼児性を撒き散らしていませんか。心当たりがあるなら今日を機に止めてください。

あなたの認識や行為の反射があなたの世界を作ります。無責任を垂れ流す行為は反射してあなたの認知を歪めます。その認知が人生では足を引っ張ってきます。

このブログやYouTube、ネットのコタツ記事やチクトクのショート動画で学ぼうもする態度もそう。問題をその場しのぎの手軽さで何とかしようする甘い態度は、必ず倍の負債となって跳ね返ってきます。

「俺が何とかしてやる」の集積がチームワーク
最近、進撃の巨人をアニメで見終わりました。思想強め。攻殻機動隊とかニーチェのマッチョ思想が好きな方にはお勧めです。流行物は大嫌いな僕でもハマりました。かっこよさのモデルが沢山いるので子供の頃なら相当な影響を受けただろうと思います。 下の場面...

あなたの態度と心を最前列で見ているのはあなた自身です。「なんだ、コイツの夢を実現させようとする気持ちはこの程度か。」と、”あなたが”、あなたへの残酷な評価を下します。

僕の経験から言えば、そうやって他人任せにして自分に嘘をつき自己評価を下げるから、何も始められなくなります。そして、それがまた自己評価を下げる。不幸の自己増殖。

この循環は自らの意思では何も決められないか、あるいは何も始められない大人を作りあげます。

逆もしかり。あなたを見ているあなた自身に「コイツは『やる』と言ったらやる奴だ」と言わせたら勝ちです。

あなたの見ている世界は、あなたの心や言葉、行為の反射が現実に投影されたものです。

誰かがジムのトレーナーがどうとか愚痴を言っている暇で、誰かは金をかけてトレーナーを探します。海外へ行く奴もいる。愚痴を言う幼児は知らないだけ。見えていないだけ。他の大人は必死に自分の人生を生きています。

チャンピオンベルトまでの明確な道筋や果てしなく遠い宇宙が見えている人がいれば、他人の取るに足らない態度に視界を埋め尽くされる人もいる。

海外留学や就労経験のある人と日本から出たことのない人とでは、認知可能な世界の広さには根本的な差があります。また、それが引き起こす行動と、それに引き寄せられる可能性には残酷な程の差があります。

リスクも責任もとらずに「誰かになんとかしてもらいたい」「無条件に認めてもらいたい」とする幼児性が人生を破壊します。

あなたの人生の主役はあなた。他人は所詮、他人です。誰かにあなたの生き方ややり方を保証してもらう必要はありせん。自分がそれを保証すればいい。

そもそも論を言えば、他人に肯定してもらうのではなく「あいつ、かっこいいなあ」「賢くて羨ましいなあ」「強いなあ。」と他人に自分の生き方を肯定させることを楽しむべきです。

人は必ず死にます。あなたも死にます。それは1年後かもしれないし、明日かもしれない。

昨日まで小学生だったかと思えば、僕はもう33歳です。さっき娘が生まれたかと思えば、もう四歳。

この調子であっという間に「ああ、もう死ぬのか」と思う時がきます。僕は死の床で「もう終わりか。でも、楽しかった。後悔はない。」と思って死にます。願望ではなく決意です。

明日死ぬのなら、あなたはやりたいようにやり、死にたいように死ぬはずです。それが10年後や30年後だとして何が変わりますか。

10年後の自分の死に方を神に告げられたと想像してください。
あなたはその瞬間から、誰になんと言われようとも自分の行きたい場所へ行き、やりたいことをやるはずです。

あなたが10年後に生きている保証はありません。1年後ですらそう。明日事故で死ぬ人はそうなるなんて思っていません。

自分のやることに他人の保証を求めてしまうのなら、「毎秒死へ着実に向かっているのだ」という自覚が足りていません。

結論。他人に自分のやり方を保証してもらう必要はないし、ボクシングに要求されるのは巧さや正しさではない。

人生に要求されることも当然、他人の言う正しさなんかではない。

要求されるのは、自らの信念と、それを貫く決意と、それにより生じるあらゆる困難を自らのものとして引き受ける覚悟。

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この記事を書いた人

第41第東洋太平洋(OPBF)ウェルター級王者
元WBC世界同級34位
元WBO-AP同級3位
元角海老宝石ジム所属

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