対象の識別
Aさんと、Aさんの価値観や思想は異なるものです。
Aさんのある考え方に共感できないことと、その人を嫌うことは別の話になります。論点が異なります。
天才が間違えた、からと言って、その天才の偉業が失われしまうことはありません。
バカは論点を認識し識別ません。Aさんのある間違い(失敗)とAさん、そして、A さんの過去の行為は別々の対象になります。
バカは全てを同一視し、拡大解釈、藁人形論法を駆使します。無自覚に。
男(女)という概念は、話を簡単にする為に開発された道具です。それが包含する多種多様な対象を「あえて」同一視しています。
個人をその型に押し込める為のものではありません。
「夫(妻)」や「家族」という役割もそう。
「普通の夫(妻)」や「普通の家族」、という風に現代に共有されているのはただの空想です。
それが社会に受け入れられたのは、人類史的にはつい最近から。時代の変化に合わせて、また個々の家族の形態に応じて変化させていくべき道具です。
戦国時代の武士「夫(妻)はこうあるべきでござる。」
現代に突然、彼らが現れてこう言われたらどう感じますかね。
「付き合ってられるかボケ」が本音でしょう。
ただ、バカはこれと同じ行為を平然とやれます。他人の考え方を尊重し、自分と他人は異なる状況に置かれている、異なる存在であることを認知できません。

包含関係
「宗教A」の「信者a」が悪いことをした事実だけで、その宗教そのものを否定するのは間違えていますし、ましてや「宗教」という概念を否定するなんて許されません。
ある国のある人が悪いことをしただけで、その国が悪だとは判断できません。
Aさんのある部分とは相容れないが、ある部分とは調和する、そんなことは極当たり前に起こることです。
仮に、Aさんのある考え方が嫌い、というだけでAさんその人を否定してしまったら、それは将来に機会損失を生んでしまうでしょう。
将来のAさんのある画期的な発明は、あなたとは相性が抜群かもしれませんから。
仮にAさんの考え方とAさんを同一視して、Aさんの存在そのものを否定してしまったら。それでAさんに嫌われでもしたら。
将来の莫大な利益を逃す可能性を自らで作り出していることになります。自らで自らの足場を崩す愚かな行為です。
終わった話をいつまでも引きずり、感情的に論点を誤認し続けたら損でしかありません。
機会損失は顕在化しません。しかし、仮にそれを数値化できるのなら、以上のような行為はあなたに大損をさせているはずです。
ある時までは調和していたのに、ある時からはそれぞれの方向性が変化して利益相反になってしまう、なんてことは、それぞれが異なる人間であるときちんと考慮に入れられるのであれば、騒ぐような問題ではありません。
「なるほど、そうなると利益相反だ。ならばここまでだね。それではまた別の機会に!」
これくらいカラッと、後腐れない方が互いの将来の可能性を担保できます。これが大人同士の建設的な付き合い方だと僕は思います。
これを
「俺の価値観を否定された!ムキー!あいつは嫌い!」
なんてやって自らの足場を壊すのがバカです。
ある時は喧嘩をしていても、ある時は協力する。それが大人。
一度でも喧嘩をしたら一生の敵、という感情論は、自分の可能性を萎め、将来に、目に見えない機会損失を導く子供じみた発想であると僕は感じます。
論点の識別と依存心
原因は感情と論理を区別できないことや物や事、自分と他人の境界線が曖昧なこと、すなわち幼児性だと考えます。つまり依存心。
「自分ではない誰かになんとかして欲しい」という無自覚の感情が、認知能力を弱め、将来の可能性に対して盲目にさせしている、と予想します。
自らの力で高みを目指そうとするなら、以上のような損失には敏感に心が反応します。
「イラッ)自制しろ。将来の可能性を担保するなら取りうる選択は…」という風に。
「異なる価値観たが、将来に役立つかもしれない。頭には入れておこう。」
これが建設的な大人の態度。
利益相反(りえきそうはん)とは、信任を得て職務を行う地位にある人物(政治家、企業経営者、弁護士、医療関係者、研究者など)が立場上追求すべき利益・目的(利害関心)と、その人物が他にも有している立場や個人としての利益(利害関心)とが、競合ないしは相反している状態をいう。

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