「疲れた」と「飽きた」

よもやま話トレーニング

ふと思いついたことをツラツラと書きます。

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疲れた≒飽きた

子供のONとOFF

僕たち大人が抱く「疲れた」って観念は、生理的には「飽きた」って感情なのではないかと。

子供って疲れないんですよ。ONとOFFだけ。
お子さんがいるとか子供と関わる仕事をしてるって方なら強く共感してくれるんじゃないかな。

猛烈な勢いで飛び跳ねているなーと思った次の場面では静かになって熟睡しています。その間数分、下手すると数十秒。その度に「子供にはONとOFFしかないなあ」と僕は感じます。

「疲れたなあ」なんて思う間もないんですよ子供の疲労には。

大人の疲労

でも大人の疲労ってそうじゃない。

大人の観念的な「疲れた」は生理的には「飽きた」が正しいんじゃない?と。
練習後に友達と飲みに行けと言われたら行けますよね。騒いでいる間は疲れは感じない。で、クタクタに遊んだと感じた直後にキレイな女性に誘われたら。

平気で徹夜しますよね。このスケベ。

男限定の下衆な表現で申し訳ないですが、男性諸氏からの激しい同意は得られただろうと思います。

要するに、「飽きた」という観念に囚われているだけで少しも疲れてはいないんですよ大人は。

子供には「無尽蔵の体力がある」とか表現されますが、既述の例の通り、大人(男)にもあるんですよ。ただそれを使いこなせていないだけ。生理的には子供の何倍もあるはずのそれを。

大人の「疲れた」は子供の「飽きた」。大人は楽しければ寝ずに遊べます。「疲れた」なんて言いながら本質的にはちっとも疲れてないんですよ、きっと。飽きただけ。

「飽きた」を「疲れた」と錯覚するから、人体の持つ無尽蔵のポテンシャルを引き出せないんです。子供並みのON,OFFができるの大人がいたとしたら、とんでもない成果を挙げられると思いませんか?

天才数学者のラマヌジャンは二日間ぶっ通しで数学の証明をやって、丸一日寝る、みたいな生活スタイルだったみたいです。僕ら凡人が子供の頃にだけアクセスできたポテンシャルにずっと繋がれていたんじゃないかと思います。だから子供みたいな「だってそうだもん」て数学の証明方法で答えが分かってしまうわけです。そんな気がします。

疲れた≒飽きた
の仮定が正しいなら、楽しい練習であれば「疲れた」と思った段階から、まだまだ生理的には先があるはずなんです。つまらない練習だから続けられないだけ。

そこから先はアイディア勝負にはなると思いますが、子供のような無尽蔵の体力と学習能力に対して適切な遊びが用意できたなら、想像を絶する能力が手に入れられる気がします。

ニーチェとブッダてこの話してる気がするんですよね。

つまり小児への転生です。

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Die Hard – ダイ・ハード
この記事を書いた人

第41第東洋太平洋(OPBF)ウェルター級王者
元WBC世界同級34位
元WBO-AP同級3位
元角海老宝石ジム所属

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