モード反転、裏コード「ザ・ビースト」
フロー≒悟り≒野性
フロー、悟り、超人思想、アルファ、貴族、武士道、騎士道、認知的脱抑制。
言い方は違えど野性の開放のことです、きっと。
野性≒男らしさ≒リーダーシップ≒アルファ
だと感じます。
テストステロンがドバドバ溢れると、体と心は自然と男らしくなると。
で、群れのベータは本能的にアルファのそれをかっこいいと感じ、そのかっこよさに服従する。テストステロン的な振る舞いをするオスを、ベータは知力、気力、体力の溢れるアルファだと判断。争うのは遺伝子の保存に不利になるから、当然の帰結として遺伝子はベータの身の安全の為に服従を選択。
「我は我、彼は彼」もテストステロン的生存戦略だと感じます。群れのベータは基本的に「あなたは私、私はあなた」です。それが生存戦略ですから。
つまり
野性の解放≒テストステロン的な振る舞い
ということ。
オラオラするとかも、多分テストステロン的な振る舞いだと思います。
※虚勢は違う。直ちにバレる。
自分は他人とは違う
常々僕は「他人に同調するな、自分がどう感じるのかを大切にしろ。それが試合での、引いては人生の判断を作る」と長岡に伝え続けてきました。今回の合宿では少しそれを感じられたと長岡が言っていたので、嬉しく思います。
コーナーにいる僕や石田会長、佐々トレーナーは脇役です。
というか、ボクサーはその決意と活躍でコーナーを従えなければなりません。
コーナーの指示に従うのは従としてではなく、主としてです。
「それならば勝てる」とボクサーが判断しなければなりません。これは形式的な役割の話ではなく現象としての話。ボクサーは決意によって自然発生的にコーナーを脇役にしなければならないんです。
長岡とは最近は精神面の話し合いばかり。
「技術云々はひとまずどうでもいい。『自分は他人とは違うんだ』って思春期の感情を思い出せ」
と合宿中に本当の彼の欲求を探る議論しました。中学時代の経験に起因した自己喪失という結論でひとまずは落ち着きました。
「自分は他人と同じ」だと本気で感じている人は努力なんてしないはずです。努力したって他の人と同じ結果になるのだと感じているのだから、努力しない方が楽だし得です。共産主義がサボり方競争になるのは同じ原理。
少なくとも僕は、自分自身は他人より価値があると信じているから、または信じたいから努力して自分の存在意義を他人に認めさせようと藻掻いています。
ジム内、県内、日本、世界。
どんなスケールだってそう感じられなければ、人は生きる活力を失ってしまうはず。
この感情こそがフローを起こす野性です。
「俺は他の奴らとは違う」って強烈な感情、欲求。
群れを率いるアルファには必ず要求されるもの。そうでなければ群れをコントロールできません。
長岡にはこの感情と欲求を大切にするように伝えて続けています。強くなる為には、彼には僕を含めた他人に「今に見てろ」と敵意を向ける能力が要求されるからです。
あくまでもアルファとして「なるほど、そんな発想もあるんだね」程度に抑えられなければ、主従関係が逆転し、ベータに転落してします。
ベータは客観で考えます。アルファは主観で感じます。客観は個体を群れに同調させて秩序を守るためのもの。同語反復的な意味のない論理。主観の欲求こそが真の知性です。
何をすべきかを論理的に考えて導くのではなく、何をすべきなのかを直感しなければなりません。
頭でごちゃごちゃ考える行為はパニックと発作を引き起こすだけ。自家中毒による不幸の入口です。
「これが正しい」と実践するのではなく、一見すると無駄に見えるけど、関心のあることをやってみる。そこに思いもよらない発見があります。本能による真の知性は既にあなたが抱えている、顕在化していない欲求を認識しています。そしてその解消方法もちゃんと用意してくれています。
「楽しさ」や「好奇心」が羅針盤です。
客観は「それは無駄だ」と一見すると合理的な判断を下します。でもそれは、あなたを群れのベータに縛り付けて身を守るた為の防衛本能の要求です。あなたの中のアルファの要求ではありません。ベータ的な要求が間違えていることは真の知性である本能に従った時に理解できます。
あえて客観的には無意味なことやってみる、というのは本能(主観)を優位にしていく作業としてはとても大切です。
この人のこの部分は好き、この部分は嫌いと感じられるのも野性。なんとなく「こいつ、嘘をついている」を感じられるように、野性は真実を見抜きます。服装や肩書などを重視する客観は騙されます。
ボクシングも同じ。
「こいつのは虚勢」「こいつのは真実」「今、ビビった」「今はやる気だな、危ない」「ここが勝負どころだ」という瞬間は理性では判断できません。心で感じられます。本能優位の真の判断の連続が、人のポテンシャルを引き出します。
モード反転、裏コード「ザ・ビースト」
どんな領域でもきっとそれは同じ。
モードを反転させ、エヴァの能力を開放する裏コードの名称が「ザ・ビースト」なのは、恐らく僕と同じような結論へ至った庵野監督の世界観の表出だから。
モード反転とは、世間一般の正しさ、つまり理性(客観)から野性(主観)への反転のこと。その名称がザ・ビースト(野獣)なのは偶然ではないはず。
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