ボクシングの信仰について思いを馳せる

戦略
戦略技術

亮次さんベルトに届きませんでした。
僕はもう少しアウトボクシング寄りの戦い方を見てみたかったと思いました。

以下の動画で話しているような徹底的なロングレンジ。
自ら井岡選手の土俵に足を踏み入れべきではないと、試合中思ってしまいました。

刺青ががっつり入っている背中と対照をなす優しい雰囲気、ボクシングにひたむきで謙虚な姿。
何が亮次さんをそこまで変えたのか。どれほど苦労があったのかが窺えます。
苦労が報われてほしいと思っていたので悔しいです。

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ボクシングの信仰

今回の試合では二つのボクシングの信仰に関する話題がありましたのでそれについて僕の考えを話していきます。

信仰が生まれる背景

ボクシングに限らず世の中にはいろいろな信仰がありますよね。
宗教の教義とか。
現代の環境のもとに築かれた価値観ではバカバカしく見える信仰なんですけど、宗教が誕生した時代にはそれに合理性あったはずなんですよね。昔の人が現代人よりバカだったなんてことはないんですよ。ギリシャ哲学の思考の深さ、奇妙奇天烈さから推察するに、むしろ昔の人たちは自分の言葉で物事を語れる程の知性を持っていて、現代人より知的だったのだなって思います。

宗教の教義、例えば食べてはいけないものがあったりするのは、その時代の衛生観念では食すことが危険だったからなのかもしれません。
今となっては女性の権利を奪っているだけに見える宗教の教義も、それが布教した当時の治安においては、それが女性の権利を守っていたのだろうと推察できます。
昔の人は馬鹿だったのではありません。
宗教は彼らが知恵を絞って編み出した発明です。
むしろ、疑問は全てスマホで解決してしまえる現代人の方が馬鹿であるとさえ僕は思います。

現代の方が知識は積みあがっていますが、人間の知能自体はほとんど変わっていません。当時の合理性に適合していないのなら、今こんなに普及しているはずはないんです。
価値観、人間の方が変わってしまっただけです。
宗教が誕生した当時の合理性と今の合理性は異なるからです。環境が変わってしまったんです。

というわけで、信仰が生まれた当時の環境における合理性にも思いを馳せながら、現在の環境における合理性を考察していきます。

手数信仰

まずは手数信仰。
解説が連呼していました。

手数が一つの勝ちの要因になることは間違いありません。
しかし手数は必要条件ではありません。
現に手数は少なかった井岡選手は勝ちました。

史上最強とも言われているメイウェザーは連打はほとんど使いません。
ジャブとカウンター、ディフェンスの選手です。

手数信仰は恐らく、ボクシングが日本へ入ってきたころの名残です。
環境としては技術体系、戦略体系が確立される前。
ジャッジもファンも選手もトレーナーも手探りの時代、手を出した方が有利だった時代の価値観ではないかと思います。

でも今はその時の環境とは一変していて、Youtubeで一流選手が見られる時代です。
僕みたいな人がたくさんいます。
若い世代は盲目的な手数信仰を受け入れないと思います。手数を出してりゃ勝てるって環境でもないんです。

パッキャオもGGGも手数が多い?彼らも相手が強いと手数は減りますよ。
自分より弱い相手に手数が出るのは自然なことです。
相手が自分より下だと分かったら手を出すストレスは小さくなりますからね。
相手が強ければ強いほど手数が出るなんて選手は見たことがありません。
つまり、因果関係として「手数が多い→勝つ」ではなく、「勝つ試合→手数が多くなる」だと考えられます。

これだけ情報が手に入る時代に「手を出して勝つ」って単純な論理は通用しません。

ちょっと脱線ですが、膝信仰は相撲から引き継がれたものじゃないかと思います。
日本のプロボクシングジムは相撲部屋システムを使っていますよね。
ボクシングが輸入された当時は、日本に広く普及していた相撲部屋(道場システム)が日本人に馴染み深く、合理性があったのだと思います。
で、相撲部屋システムは現在の環境には合わなくなり始めています。

「膝信仰」も一緒に持ち込まれたものだと思います。

「膝信仰」自体も恐らくは強い相撲取りの股関節を曲げたパワーポジションを見た人が「低い姿勢→膝関節屈曲」と結論したことが始まりじゃないかと思っています。
徐々に本質的なことが抜け落ちていって「腰を落とす」ではなく「膝」が運動の中心であるという誤解が広まってしまった。

右回り信仰

もう一つ気になったのが右回り信仰。
これもこの信仰が生まれた当時に思いを馳せてみます。

始めは対サイスポー対策としてサウスポーがどうやって戦っているかを観察していたんだと思います。
で、サウスポーが踏み込んでいくときに右側へ踏み込んでいくことが多かった。
奥の手のストレートを当てるなら外側に踏み込んだ方が強く腰が回りますし、リードハンドを避けながら角度が作りやすいので必然的に技術的な淘汰圧がかかって、ボクシングがある程度成熟してくる頃には内側へ踏み込む技術は駆逐されその数を減らします。

外へ踏み込む選手が増えるのも環境の変化なので淘汰圧が加わります。
外側へ踏み込む選手が増え始めると、それに対応する技術が発達していきます。
すると今度は内側へ踏み込んでいくことが王道の裏をかくことになる、つまり環境の隙間へ滑り込むようなニッチ戦略になるんです。

今度はこれを受けてどう環境が変わるかですが、恐らく外と内へ踏み込む二つの技術を持つ選手が増え始めます。そしてそれに対応する技術を持つ選手が増えていきます。
こうなった場合、二つの戦術を組み合わせて相手の裏をかくことの方が重要になっていきます。
今は外へ回るではなく、裏をかくことの重要度の方が高い環境へ変化しているだろう推論できます。

ストレート信仰

試合ではストレートストレート言ってなかったのですが、ストレート信仰も同じようなもんです。

ボクシングが輸入された当時はストレートの優位性が高かった。なぜなら自然なパンチはフックだからです。
喧嘩殴りの環境においては最短距離を走るストレートのアドバンテージは大きくなります。

するとストレートを防ぐ技術が発達するのでストレートだけでは当たらなくなります。
そうなるとフックとストレートを組み合わせる選手が有利になります。

要するに、戦略においては結局は裏をかくことが王道になるんです。

以下信仰に関する関連記事です。
興味のある方はぜひ。

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