僕はこれは使用する言語の構造に合わせて脳のニューロンの発火経路が変わるからではないかと考えています。
英語を使う時はより厳密で論理的な回路を通した方が、日本語を話す時は曖昧さを受け入れる回路を通す方が、理解しやすく資源の節約ができるからです。
善悪の二元論
僕は時々ハリウッド映画の極端な善悪の二元論に違和感を覚えることがあります。
分かりやすく「善」と「悪」に分断されているからです。
悪党は常に悪党、故にどんな制裁を加えることも許される。ぶち殺してもOK。
国際社会でもそうですね。常に「アメリカ”の”民主主義」が正義で、他の主義主張は悪。
何をしても許されます。
僕の感覚、恐らく日本人の感覚では受け入れられないと思います。
何故なら善と悪という明確な境目は存在せず、戦いというのは正義とまた別の正義の対立によるものだと考えるからです。
僕的にはハリウッド的なノリにはついていけず、日本的な苦悩を抱える悪の描かれ方が大切だったりします。
邦画好きには共通するんじゃないかな。
僕はこれは言語の構造に由来しているのではないかと考えます。
日本語の構造が曖昧だからこそ、それを使う日本人は善と悪の境界線を明確に引くことがなく、物事の判断の基準として曖昧さを許します。一方英語は構造が厳密だからこそ宗教なども含めて判断が二極化しやすく、善と悪を無意識下で明確に分けてしまうのだろうということです。
毎度のことながら長濱説です。
もちろんハリウッドの善悪の二元論がプロパガンダであるという説は理解しています。しかしこのプロパガンダが通用するのも善悪という二元論で厳密に物事を判断しようとする習性があるからではないかと考えています。
MEMEに話を戻します。
既述した言語のように道具(MEME)と人の脳は相互作用します。
僕達は道具を使うだけではなく、使われてもいるんです。
貨幣なんて好例です。貨幣は元々は価値の交換を円滑に行うために開発した道具であったはずですが、今や貨幣に人の思考が操られて支配されているように見えます。
地球の論理が通じない宇宙人が人類の行動を見ると、金に踊らされるようで滑稽に見えるかもしれません。

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