「攻殻機動隊 Ghost In The Shell」哲学する漫画

股関節おじさんの勉強部屋

僕が好きな漫画、アニメの攻殻機動隊の話をさせてもらいます。
再上映に興奮しているのですが、現実世界では相手にされません。
せめてブログでこの思いを吐き出させてください。

ハリウッド映画化もされましたし、マトリックスの原案にもなっている素晴らしい作品ですので、興味を持った方はアマゾンへGO!

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哲学する漫画

今回はその劇場版の原作となる士郎正宗氏作の漫画について。これが元祖「攻殻機動隊」です。

この漫画は短編の事件を解決するうちにストーリーの全体像が明らかになっていくオムニバス形式をとっています。
シリーズのどれよりも好きな作品です。

時代設定

近未来、人型のロボットに搭載されたAIと人間が生活しています。
電脳空間と呼ばれる人の意識同士をつなぐネットワークが普及し、人々はそこで様々な体験をやり取りします。

タイトルのGhost(ゴースト)は劇中で「自我」を指す造語です。

草薙素子

話が長くなるので第一話に限定し曖昧にお話します。

主人公の草薙素子は公安警察に所属しており、事件を未然に防ぐことを生業としています。
彼女は警察組織から特権を与えられたサイボーグ(機械化した人)ですが、それと引き換えに警察に事件の記憶と彼女の「意識」が搭載された義体(機械化した人体)を所有されています。
彼女の所有物は彼女のみ関係した記憶と『彼女が彼女自身だと感じる主観的な「意識(ゴースト)」』だけです。
この設定がこの漫画の肝になる部分です。

草薙素子は自分の体と記憶の一部が誰かの所有物であることで悩んでいました。
なぜならば周りでは人工知能を搭載したアンドロイド(完全な人工物)がまるで人間のように振舞っているからです。
人工知能と人間の違いは「『ゴースト』を持っているという認識」だけ。
人間とAIの境目が曖昧なんです。

この悩みについては普段から「意識」に興味を持っていないと何のことか分からないと思います。

なので「ゴースト」の議論を理解するための簡単な例え話をします。

草薙素子と瓜二つのアンドロイドがいます。
そのアンドロイドは刺激(入力)に対して常に草薙素子と同じ反応(出力)を示します。
一見すると草薙素子と同じアルゴリズム(魂)が実装されています。

ゴーストの議論とは「草薙素子に瓜二つのアンドロイドは、草薙素子と全く同じ意識を持っているのか?」ということなのです。
「僕と瓜二つのアンドロイドは僕と同じ意識を持っているのか」と言い換えてもいいです。
そのアンドロイドは僕の娘や妻を見て心の底から「愛おしい」と感じるのか。
それとも、そう見えるように振舞っているだけなのか。

どうでしょうか。
ゴーストの議論が少し分かってきたのではないでしょうか。

体も記憶も公安警察に所有されている草薙素子は自分の意識とその土台となる記憶というものに固執します。
それだけが自分を証明するものだからで、それがなければ周りにいるアンドロイドと何ら変わりはないからです。
誰かに作られたプログラムかもしれません。

ある事件で草薙素子は生きた人間の電脳(電子化された脳)の記録を改竄する事件の解決を任されます。
その事件の解決は、同時に草薙素子唯一の存在証明であった意識(彼女を彼女足らしめている記憶の連続性とその主観的な認識)の存在を揺らがせるものだったのです。

その事件をきっかけに壮大なストーリーが展開され、最終的には「生物」や「意識」というものの定義を拡張することに繋がっていきます。
リチャード・ドーキンス氏のMEMEの概念で作者の士郎正宗氏は論理を補強しています。

草薙素子の設定だけでも興味が湧いてきたかと思います。
草薙素子の設定を考えただけでも満足してしまうのは僕のような凡人。士郎正宗氏が普通ではないのは「人形使い」という草薙素子と対を成す”概念”を作り上げたこと。

人形使い

AIではない…。私は情報の海で発生した生命体だ

攻殻機動隊 人形使い

公安警察によって作られた調査用AI「2501」。
ネット上のあらゆる情報の収集、分類、解析を目的としたそれは、その過程で自らの「自我(ゴースト)」を発見、定義します。
ゴーストを手に入れた2501は自らの存在理由を自ら定義し直すことで自律し暴走。
公安はそのコントロールを失いました。

2501と草薙素子の利害は想像を超えた、ある結論で一致。

ネタバレになるのでこの辺で。
オムニバス形式なので大筋の話以外にも啓発的、啓蒙的な問いかけがあります。
「AIを発達させる前にこのことはしっかり議論して、答えを見つけておけよ人類。でないと大変なことになるぞ!」って感じの内容です。

意識や生命を定義する議論って面白いなあって感じたきっかけでもあります。

「意識」の不思議なところは主観でしかその存在を証明できないこと。
「生命」もまた、その定義の抽象度を高めていけば様々なのものにも当てはめられる奇妙さがあります。
人間だけでなく、機械、植物、果ては蟻の「群れ」、森の「生態系」、「銀河系」、などなど規則性を持つものに当てはめられてしまいます。

僕達は生命の意識で、それが「生きている」「生命である」と感じているだけなんですよね。
だとするなら、上記のシステムも主観的意識を持って「生きている」と感じているのかも。

意識とは何か、生命とは何か。

興味がわいたら以下の動画も見てね。

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この記事を書いた人

第41第東洋太平洋(OPBF)ウェルター級王者
元WBC世界同級34位
元WBO-AP同級3位
元角海老宝石ジム所属

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コメント

  1. KOKO より:

    学生の頃、士郎正宗の漫画と映画見ましたが、なんとなく雰囲気を感じるのみで、長濱さんのように深く思考をめぐらして楽しむところまでいきませんでした
    しかし少しずつ、昔からSF作品で描かれてきた世界に現実が近づいてきているのは、あちらこちらで感じられますね………

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