振り子歩き
この所は長岡に振り子歩きの練習をさせています。
振り子歩き
見れば分かると思いますし、散々言及しているので詳細は省きます。
分かりやすい利点だけ。
1.奥脚に乗り込むことで、相手から頭を遠ざけてディフェンスの距離が保てる
2.股関節の可動性を使い、攻撃時に一気に距離を詰められる
3.2がパンチの角度とタメを作り、同時に相手のパンチングレンジから隠れるディフェンスになる
4.3で左股関節に乗り込めればそのエネルギーで爆発的なパンチや踏み込みができる
長岡は4ができていません。動画を観てもらえれば、膝の動員が強く、ハムケツへの前傾のエネルギーの交換(パワーポジョン)が非効率なのが分かります。また、この場合は股関節の可動性も使いづらくなるので、頭を突っ込んだところを狙われる確率と、それをまともに受ける確率を高めます。カネロはこれが巧みです。
改善案として、デッドリフトで動作のコツを掴み、またそれができる筋力の獲得を促すトレーニングを考えています。
問題を見つけた場合は「何故それが起こるのか」と論理的に考える必要があります。往々にして、直接問題へ働きかけると逆に問題は上積みされます。
独自の世界観を創る
この技術を練習するのは、それを習得する過程にボクシングを理解する為の様々な要素が詰まっているからです。
このスタイルをやることが目的ではありません。このスタイルを足場に自分とそれ以外のボクシングスタイルに与えられた”意味”を理解させます。
ヒトは比較により価値と意味を認識します。従って、自らの信念やスタイルを持たないか、あるいはそれを自覚しないボクサーは、ボクシングのスタイルや技術に与えられた意味や価値を理解しません。
認識の足場を作るための「振り子歩き」です。
ボクシングを一つの秩序だったシステムとして認識し理解しようする努力は、ボクサーに自らの漠然とした現実の認知を自覚させます。
それは自らが成長しない理由を理解させます。
物事を漠然と捉えてしまえば、それは理解できません。ボクシングがそうなると、自分には何が足らないのか、それを補うには何を練習すべきなのか、が頭に浮かびません。結局の所は掴み所のない根性論に終着します。
僕は根性論は否定しません。そもそもは根性のない奴が大嫌いです。しかし、根性論で全てを解決しようとするバカも大嫌いです。
自らの努力の方向性と、その意味と価値を認知させる為の足場として、長岡には振り子歩きのシステムを体感させています。彼はこのシステムの合理性を元に他人や自分の技術の価値を評価できます。
雰囲気で話す奴の話は聞くな
共感型、問題解決型の二つに人種は分類できます。
共感型は無自覚に他人に共感してもらうことを重視します。
あなたがあなた自身の人生の指揮者であり、本気でボクシングや仕事、人生に取り組んでいるのなら、彼らには付き合うべきではありません。
「指導」という形に偽装した「承認欲」を垂れ流しています。真の目的は「序列の確認」です。
真にあなたの問題を解決しようとしている指導なのか、あるいは自分の技術をあなたに認めさせて、自分の存在価値を誇示したいだけなのか、を判断する必要があります。 あなたを守れるのはあなただけです。
共感序列確認型や問題解決型の人種の違いは、遺伝的な性質に由来しているとの仮説もあります。
「こうでこうで、こうだ!(ドヤァ。俺すごいやろ!)」
上は雰囲気で分かります。これを感じたら、まずはその主張の妥当性の証明を求めるか、自分で証明してください。
それは攻撃の為にではなく、自分自身を守る為にです。
問題解決型と共感序列確認型の差は、進化に由来しているとの仮説もあります。すなわち遺伝的に与えた役割を果たしているだけで悪気はないはずです。
規則性の認知やその説明に”生理的に”関心がないだけであろうと推理でき、であれば、主張の矛盾を指摘されても意味が分からず、単に怒らせるだけの可能性があります。
それは誰の得にもならないので、「ダメだ」と感じたら指摘すべきではありません。あなたにできるのは、さっさとその場を退散し、あなたの仕事に集中することです。
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