認識の一般化

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よもやま話股関節おじさんの勉強部屋

集合論やろうと思って入門書まで買ったのに。脱線に次ぐ脱線で全く意図しない方向へ走りだしてしまっています。

証明の正しさとは何かってことで数学の定義する正しいを見ていきました。演繹、三段論法と推論規則などなど。

納得したと思ったらまだモヤモヤする。このモヤモヤの正体を探っていきます。

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含意と論証の妥当性

論理包含(含意)の定義

論理包含(ろんりほうがん、含意(がんい)、内含、英: implication、IMP)は、第1命題が偽または第2命題が真のときに真となる論理演算である。

Wikipedia

「aが成り立つならば、bも成り立つ」
という人の認識を一般化しているのです。多分。それはなんとなく分かる。でももっと具体的に説明したい。

「妥当な論証」とは含意の入れ子、またはそれを鎖で繋いだような構造のことだと考えられます。含意とは別に「妥当性」が定義されたというよりは含意を始点に、または途中で含意の経路と合流して定義されているように見えます。a→bという含意の形式をとることが妥当な論証だってことです。

これの意味するところを例え話で想像してみます。 

前から歩いてくる人が友人Aだと認識する時って記憶の中のAの「Aは男である、あの人は男である」「Aは身長が〇〇である、あと人も○○である」「Aは髪型が〇〇である、あの人も○である」という前提を呼び出して、「ならばあの男は友人Aである」って風に無意識に演繹します。

ちょっと分かりにくいですね。別の例を挙げます。

1+1ならば2
を考える時は暗黙的に以下の自然数の定義が前提として隠されています。

$\displaystyle a\in \mathbb {N} ;a+1=S(a)$

$\displaystyle a,b\in \mathbb {N} ;a+S(b)=S(a+b)$

次に小前提
1は自然数で+は自然数の加法である。

これらの前提が真なら演繹的に
$1+1 = S(1) = 2$
と求めることができて、1+1→2は自動的に真となります。

「a(前提)が成り立つならば、b(結論)も成り立つ」をそのまま受け取ると、分かるような分からないようなルールですが、文脈として上記の例のように、始点を決めれば終点が自動的に決まってしまうあみだくじのような推論の構造になっていなければならないということだと思います。

前提のスイッチを全てオンにしたら、自動的に目的とする結論が点灯するような回路と例えることもできます。

まだモヤモヤしますが疲れたので終わります。

【妥当性】
ある論証が、前提が全て真であれば結論も必ず真となるような形になっている時、その論証を妥当(だとう、英: Validity)であるという。より厳密に表現すると、『全ての前提が真である』ことと『結論が偽である』ことが決して両立しない論証を妥当であるという。

Wikipedia
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Die Hard – ダイ・ハード
この記事を書いた人

第41第東洋太平洋(OPBF)ウェルター級王者
元WBC世界同級34位
元WBO-AP同級3位
元角海老宝石ジム所属

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