背理法などの議論の枠組み

暇つぶしに見て

恒真式
恒真式(こうしんしき、トートロジー、英: tautology、ギリシャ語のταυτο「同じ」に由来)とは論理学の用語で、「aならば aである (a → a) 」「aである、または、aでない (a ∨ ¬a)」のように、そこに含まれる命題変数の真理値、あるいは解釈に関わらず常に真となる論理式である。

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排中律(はいちゅうりつ、英: Law of excluded middle、仏: Principe du tiers exclu)とは、論理学において、任意の命題 P に対し「P であるか、または P でない」という命題は常に成り立つという原理である。

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「AでありかつAではない」が”論理的”に間違えている証明をします。

ところで、あくまでも”論理的に”は間違えているというだけで、真であり偽であることは現実には許されているかもしれません。人の認識の通りに現実が振る舞う保証はありませんから。

僕は矛盾を認めないと現実は説明できないとすら感じています。あくまでも、論理や数は人が開発した、特定の認識の方法にすぎません。

閑話休題。

[A∧¬A→⊥](仮定)
¬(A∧¬A)∨⊥(→言い換え)
¬(A∧¬A)(⊥除去)
¬A∨¬¬A(ド・モルガンの法則)
¬A∨A(二重否定除去)
T(排中律)
(A∧¬A→⊥)→T

「『Aであり、かつAではない』」という命題は矛盾(恒偽式)である」は、同地変形の結果は真となります。

「『Aであり、かつAではない』」という命題は矛盾(恒偽式)である」という結論を認めても良い。
議論の枠組についての議論です。
この命題を論理的に「矛盾」と結論するのとは正しい(真)よ、ということ。

次は背理法について。

ある命題 P を証明したいときに、P が偽であることを仮定して、そこから矛盾を導くことによって、P が偽であるという仮定が誤り、つまり P は真であると結論付けることである[1]。帰謬法(きびゅうほう)とも言う。

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Aと仮定した場合に矛盾(恒偽式)が導けるならば、「Aではない」が導ける。
この議論の枠組みについて議論します。

[(A→⊥)→¬A](仮定)
¬(A→⊥)∨¬A(→言い換え)
¬(¬A∨⊥)∨¬A(→言い換え)
¬⊥∨¬A(⊥除去)
T∨¬A(¬除去)
T(恒真式)
((A→⊥)→¬A)→T(→導入)

((A→⊥)→¬A)⇔T
が証明できました。

Aと仮定して矛盾が演繹できた場合はAではないと結論できます。

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Die Hard – ダイ・ハード
この記事を書いた人

第41第東洋太平洋(OPBF)ウェルター級王者
元WBC世界同級34位
元WBO-AP同級3位
元角海老宝石ジム所属

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