僕がボクシング業界に居て感じることを共有します。みんなが感じているだろうこと。
それは世代間の価値観に大きな溝があることです。
そしてこれはきっと、ボクシングに限りませんね。
世代間の認識の差
僕を含めた最近の世代はインターネットや本に囲まれて、情報と共に育ってきています。
なので、分からないことはインターネットに訊ねます。
分からないことは目上の人に訊ね、真似て学ぶのが当たり前の世代の価値観とは大きな溝があります。
この溝、つまり僕がこのブログで延々と話している世界観や価値観という認知バイアスを克服するのがとても難しい。
イスラム教徒やキリスト教徒、仏教徒にはそれぞれに異なる生き方があります。経験を元に構築された彼らの頭の中の現実がそれぞれに異なるからで、その差が人の思考と行動を変えるからです。人はそれぞれが異なるマトリックスを生きているのです。
この至極当たり前のことが理解できていない人が非常に多いと感じます。資本主義というマトリックスに住む住人がキリスト教やイスラム教、仏教というマトリックスの住人を否定したり。科学というマトリックスの住人が独自のやり方で世界を構築しようとする人を否定したり。
世界観や価値観は個々人の現実へのアプローチを決定する重要な要素で、誰もそれを否定はできません。
人の性質と教育の弊害だとは思います。自分の知る世界だけがこの世の全てあるという錯覚がくだらない争いを生んでいます。
人それぞれが異なる世界の認識を持っている、ということが人のコミュニケーションの前提であり、それぞれがそれぞれの頭の中にある世界を尊重できることで、コミュニケーションは円滑に行えるはずです。
僕はそう信じます。長岡の世界も村井の世界も、パラエストラ天満長濱クラス参加者の誰の世界であっても僕は否定はしません。そうしてはいけないと信じているからです。
未熟な頭でっかち世代
自己紹介をさせてもらうと、僕たち世代は頭でっかちです。インターネットや本で知ったことがこの世の全てだと錯覚しています。
自分や他人の経験を過小評価する傾向にあり、科学教への入信率が非常に高いです。
科学の原理を真に理解しているわけではありません。ただ、「正しい」と信じているだけです。
情報を記号的に知っていることを「理解した」と錯覚してしまうので、この世の主になったかのような傲慢さがあります。
経験豊富な人達にペラペラの知識を見抜かれてしまっている自覚もありません。「経験」という財産へ敬意を払うこともありません。教科書の知識と経験知の違いも分かっていません。
上の世代からすると体の大きな子供が駄々をこねているように見えるかもしれません。
立場にあぐらをかく世代
世代が違うので僕の勝手な憶測になっているかもしれませんが、それを話します。
目上の人の経験に学んできた世代は僕たちの世代とは異なり目上の人を敬います。そうしなければ知識の継承が起こらないという構造的な理由があったからです。が、目上の人であればとりあえず誰でも尊敬してしまうという愚かさがあります。
その人の言うことが正しいかどうかは関係ありません。ただただ尊敬します。
下の人間も自分たちがしたのと同じ様に無条件に目上には従うと錯覚しています。そうしない場合は腹を立てて威圧する身勝手さがあります。
知識は真似て体で覚えただけなので、言葉で論理的に説明するのが苦手です。形だけとは言え、成功した法則を再現しているので価値はあります。しかし、ただ「やれ」としか言いません。
自分でも何故やるのかは分かっていないと推測されます。
まとめるとぉ。
時代に由来した価値観の溝が不毛な争いを生んでいます。どちらも正しいし、どちらも間違えています。
相手を知ろうとしないこと。
そして、自分の能力不足を顧みないことが根本的な原因です。
経験豊富な上の世代は言葉で伝えることが苦手ですが、高確率で生き方にも繋がれているとても大切なことを話してくれています。
それが若い世代へ伝わらない事実は損失でしかありません。
互いに歩み寄れば、上の世代は若い世代から尊敬され、若い世代は上の世代が導いた真理を継承できます。
両者のちんけなプライドが両者に多大な機会損失を生み出していることを理解すべきです。
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