他人と自分を分離する論理性と機会損失の話

よもやま話

世代間の溝に関する話の続き。

「他人を理解しようと努力する」ことは幼児性を切り離すのに要求される論理性獲得の第一歩と僕は考えています。

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互いを認める

世代間の価値観の違いは時代背景に由来しています

物心ついた頃から情報を浴びて育った僕達と情報の取得に高い費用のかかった世代とでは世界の見方とそれへのアプローチの方法が異なります。

経済のグローバル化が始まったのはソ連崩壊後。丁度僕が生まれた年の1991年以降です。それ以前は核戦争の危機感や東西の分断構造が社会の価値観へ強力に影響を与えていました。明治と令和で価値観が異なるのが当たり前であるように、今と少し前の世代とでは価値観が異なります。す。

些細な疑問を解決するのにも、少し前であれば目上の人に訊るか本屋を回らなければなりませんでした。
今はグーグル先生に質問するだけで答えてくれます。本だって探してくれます。調達の為に家を出る必要すらありません。
簡単な疑問の解決ですらこれだけの違いがあるのだから、生活そのものを改善しようとする発想に関してなら、根本的な原理から異なることが容易に想像できます。
「飲み会」の捉え方が世代間で大きく異なると言われますが、それは根本にある、環境に由来した世代間の生き方が全く異なることが演繹しています。それを理解しようせず自分と異なる他人を拒絶しようとするのはバカです。少なくとも僕はそう想います。

両者が互いを理解しようと努力しないことは「老害」「クルド人差別」という言葉に集約されていると思います。将来に悲劇を生みだす構造を作り上げる愚かな行為に他なりません。もしかしたらもう既に生み出しているかも。

互いに歩み寄り相手を理解しようとする努力を放棄することが、両世代間の大きな溝を作り出していると考えられます。
世代毎の「生き方」は、宗教や国によりそれが異なるのと何も変わりません。
自分のものと異なるからというだけで否定していいものではなく、互いに認め合うべきものです。それができないのなら、最終的には殺し合う以外に解決方法はないからです。

論点を整理する価値

互いの違いを認めた後で両世代が理解すべきは、価値観の違いと両者の主張そのものとは全く異なるものだと言うことです。

例えばイスラム過激派のテロ行為と敬虔なイスラム教徒は全くの別物です。資本主義と拝金主義者も、科学と科学教も全く異なるものです。
もしも、これらの論点の違いを整理できなければどうなるでしょうか。

西側は中東全域を敵に回し多大な費用を要求する戦いに引きずり込まれます。それはインフレとそれに伴う増税、貧富の差の拡大、からの世界の分裂までを演繹してきます。最悪の場合は世界大戦です。
拝金主義者を駆逐する為に資本主義的思想を取り除いたソ連は生産性の低下を止められずに崩壊しました。
科学は科学者にそれ自体を疑うことを要求しています。が、科学教信者はそれを疑うことをせず信頼しきっています。もしも、誰も科学を疑わなくなければそれは発展しません。

これらの例からも分かる通り、論点を整理できない場合の損失は膨らむ以外にあり得ないんです。

世代間の価値観の違いとそれらが隔てる両世代の主張は分離して考えなければならないということです。

幼児性と論理性

僕が「世も末だ」と感じている理由は、自分と異なる他人を認められない大人や上記のような論点の整理ができない大人が身の回りやSNSで大量発生しているからです。

僕の「個々の主張」と「僕」とは切り離されるべきです。
「有名人の不倫」と「私刑」と「自分の損得」は、分離されて然るべきものです。
この当たり前のことが身の回りやSNSでなされているとは思えないのが現状で、娘が大人になる時代かそれより少し前に集団で危険な方向へ走り出すのではないか、と危惧しています。

では何故、人がこうなるのかという僕の主張をさせてもらうと、それは平和な時代の弊害です。

娘とその同世代を観察していて分かりましたが、幼児は「親」と「自分」、「友達」と「自分」を切り離して考えるのが苦手です。
だから、友達のおもちゃを無断で奪い、親が自分の言うことを聞かない場合に泣き喚くという行為ができてしまいます。
自分と他人を切り離す自我(アイデンティティー)の獲得が、大人への第一歩と言われる所以です。

こう仮定した立場から社会を俯瞰してみるとどうでしょうか。
「政府の仕事」と「自分の人生」、「他人の人生」と「自分の人生」を切り離せていないような主張がSNSやYouTubeの動画にあふれているように思います。
社会に住む個々人の危機感を刺激できない平和な期間が続くと、人の幼児性は頭をもたげてきます。
江戸時代の後の明治維新、その後の太平洋戦争などはそう考えると納得できます。
平和な時代が三世代、年数にしておよそ75年から90年間続いたサイクルの最終局面では特大のバブル相場とその崩壊に伴う大不況が起こり、責任転嫁の手段としての世界大戦が引き寄せられてきます。

まとめるとぉ。

「他人と自分」「政府と国民」「親と子」「恋人と自分」「配偶者と自分」の分離ができなくなってはいないかを自問自答し続けなければなりません。
そうやって論点を整理できなければ、損失だけがどんどん膨らんでいきます。

あなたの恋人や友達、配偶者、親が自分の生き方とあなたの生き方を区別できなくなり、無理矢理にそれを押し付けてきたらどうしますか。
間違いなく争いへと発展し、最後の解決手段が縁を切ること以外にないことが想像されるはずです。
そうなれば誰が得をしますか。
誰も得をしません。関係者全員が損をします。

僕はこれが日本中で起きることで、全員が多大な機会損失を被っているのではないかと推論しています。

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Die Hard – ダイ・ハード
この記事を書いた人

第41第東洋太平洋(OPBF)ウェルター級王者
元WBC世界同級34位
元WBO-AP同級3位
元角海老宝石ジム所属

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