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知覚する

ヒトの反応速度と僕の経験と観察から帰納される法則性から演繹的に考えるなら、パンチは「避ける」ではなく、危険な確率が高い空間から「隠れる」が正しいだろう、と下の記事で主張しました。

以上が妥当な推理だと仮定した場合、不安や恐怖は我慢して克服するようなものでなく、むしろ生かすべきものだと結論できると、すなわち日本ボクシングの価値観、ひいては日本全体を覆い尽くす価値観には、競技力の向上や人の成長という観点からは非合理が内包されているだろう、と主張しました。

ロマステップの気持ちと現行の教育と指導観への疑念
ロマの気持ちを考えます。 抽象的な話です。 隠れる 僕は、自分が「守る」時を思い出してみると、「避ける」よりは「隠れる」と表現する方が正しいと感じます。あるいは「嫌がる」です。 今回はその話。 以上の僕の感覚、ないしは一流ボクサーの観察や指...

上の主張はカネロやロマはパンチを避けているのでなく、パンチが当たらない場所に隠れている故に必然的にパンチを食わない、と言い換えられます。

あなたは危険な空間を本能的にか、ないしは経験的に知覚できるはずです。

運転中は、危険な場所の定義の一々を思い出すまでもなく知覚されます(フロー)。逆にアクセルを踏むべき場所も、その定義を思い出すまでもなく知覚します(フロー)。

ボクシングも同じ。

逃げるべき場所、手数を出すべき場所、駆け引きすべき場所は無意識に知覚します。

すなわち外野からあーだこーだ言ってコントロールしようとするのは、運転中に助手席からごちゃごちゃ文句を言って運転手を妨害するのと同じ。

運転手が混乱して危険やアクセルのタイミングを知覚しなくなるのでむしろ危険です。

この論理を抽象すると、ボクシングは他人から教えてもらうものではなく自分自身から学ぶものだと言えてしまうようにも思います。

実戦や練習は、まずは何かを知覚することが先行します。カネロやロマの動きを見てください。顔を隠したり、安全な場所へ飛び退いたりと、それは練習した、というよりは本能的な動き、と表現するのが正しいと感じませんか。

より言及するなら、本能的な動きから無駄を省いて洗練させた動きが彼らのボクシングです。

つまり、「こうあるべき」へ向かったのではなく、備わっているものに来てもらった。
※彼らがどう認識しているかに関わらず

具体的に言うと、外側を修飾して作った理性ではなく、内側から引き出されたもの。つまり、野性です

危険だと感じる対象に対する態度が個性です。戦おうとするのか、逃げようとするのか。
それらも良し悪しではなく、生かすべきもの。恐怖に敏感ならメイウェザーのようになるだろうし、鈍感ならマイダナやメキシカン、GGGのようになるだろうと思います。

それらの性質を客観的に評価するのではなく、それこそが自分なのだと許容することが、自然体を引き寄せてくるはずです。思うに、自分自身を許容することこそが、あなたの遺伝的ないしは経験的な心と体の性質に最も適合する超合理的なシステムを引き寄せてきます。

なぜなら、あなたの先祖はそうやって何十万年も生存してきたからです。あなたにとっての合理を知覚するシステムが実装されているはずてす。でなければ淘汰されます。

僕が厳密にボクシングを説明しようとするのは、それが僕にとっての合理だから。僕の先祖はそうやって生き残ってきたのだろうと思います。

僕にはそれが少しも苦痛ではなく、むしろそうしているの時間は楽しいとしか感じません。

人によってはそれに苦痛を感じるはず。であるなら、それは向いていない。来る者拒まず、去る者追わず、です。

遺伝的にできないことに執着するのは人生の無駄。繰り返しますが、良し悪しではなく、ただの性質です。別の快適に感じるやり方を探せばよいのです。

美しさは作り上げるのではなく、引き出していくもの。

技術を発達させる

どんな風にやれば上手くなるのかを考えます。

やはり、まずは何かを感じること(フロー≒本能≒遺伝的性質)です。好きか嫌いか、楽しいか怖いか、快か不快か。

本能が先行すると、次に認識が起こります。「俺はこんな風に感じている」「それに対してはこんな風に対応している」「であるなら、こんな練習が効果的だろう」と。本能(主観)に認識が、認識に理性(客観)が追従してきます。
これがヒトの知性だと換言できます。

以上の仮定から上手くなる方法を演繹するなら。

以下は、以上の論理を僕というフィルターを通して加工した場合の一つの解でしかないことは念頭に置いてください。

僕は自分を含めたボクサーの動きを見ると、何がどうなってどうなっている、と解剖学的か、ないしは力学的な説明が何故か頭に浮かびます(フロー)。恐らくは、これまで蓄積した本などの知識が脳内にあみだくじのように構造化されており、視覚から入力された情報が一気にそれを通って結論へ到達するのだと思います。

朝起きると何故か知っていた、というような、「お告げ」の経験はありませんか。ボクサーを見ると、それが強く起こります。

そのお告げを土台にそれを改善させる練習の構造を考えます。閃かない場合はYouTubeや本を読んでヒントを探します。

すると、またある日突然に閃きます。

僕はこんな感じです。特殊な気もしているので、一般化は難しい気がしますが、僕と似たような性質を与えられている人もいるだろうと思います。

長岡はそれはできないと割り切って、様々な師から教えを乞うています。

様々な道の専門家にその性格と行動力を気に入られて、支払った以上のリターンを受け取っているように僕には見えます。

恐らくはこれが、神から与えられた彼の性質(才能)です。

できないことはできないと許容し、自分自身を受け入れることが競技力と金を彼に引き寄せてきているように見えます。

まとめ。
本能的に知覚することを大切にする。それを先行させ、それに理性を追従させる。そうすればあなたにとっての合理が引き寄せられてくる。

正しい方法を探している内は合理は逃げます。

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Die Hard – ダイ・ハード
この記事を書いた人

第41第東洋太平洋(OPBF)ウェルター級王者
元WBC世界同級34位
元WBO-AP同級3位
元角海老宝石ジム所属

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