ニクヨさんの動画で紹介されていて、面白そうだと感じたので即購入。
膨大な巻数があります。まだ初めの方しか読めていませんが、かなり面白いです。
政治や歴史、リーダーシップや組織論、生き方などに興味があるなら楽しめると思います。
ローマの政策を抽象するなら、それは個人や組織にも通用させられ、その発展を呼び込めるだろうと僕は感じました。
他民族国家
ローマが強大化したのは、他民族国家として成立したからだと考えます。人種や民族のるつぼであるアメリカが分かりやすい例です。
国内の適度な内部対立は市民に権力者の監視と政治参加を要求します。
そうしなければ他民族に担ぎ上げられた政治家がその民族だけを優遇するような政策を打ち出すなど、好き勝手を始めるから。
それぞれの民族は、自らが所属する共同体の長期的な利益が損なわれないよう、他民族と権力者を監視する必要から政治への参加を行います。
市民一人一人が、社会と自分の人生に関心を持つことが民主主義には必要不可欠です。
市民が政治に無関心となれば、それへの国外からの干渉や公共性の劣化に歯止めをかけられなくなります。
ローマはその成り立ちから、必然的に多くの民族の意思を反映する共和制と民主政が取られました。
仮に独裁体制となる貴族制を主張しようものなら、他民族から総スカンを食らいます。
実際に、私利私欲を貪るような政治家は陶片追放と呼ばれる制度により強制的に国を追い出されたようです。
この手の手段が用意されている社会では、政治家は下手なことはできません。真っ当に尊敬を得ようとします。
毎年1回、陶片追放を行うかどうかの予備投票が民会で開かれ、実施が決まるとその二ヶ月後に陶片追放の投票が行われる。市民が僭主になる恐れのある者の名を陶片(オストラコン)に記し(なお代筆が認められていたので字が書けなくとも投票できた)、得票数が6000票を超えた場合、或いは投票総数が6000票を超えた時の最多得票者に10年間の国外追放が言い渡されたとされる(どちらが正しいかは定かで無い)。
以上のように、多民族社会である故に民族や階級などの、生まれながらの属性によっては政治家は選ばれません。対立する民族により、それは徹底的に阻止されます。必然的に市民はリーダーの能力や思想に注目します。
「年齢も民族も階級もどうでもいい。とにかく生活をよくしてくれ。」
が共通の価値観になったと考えます。
能力のある人が正しく評価され、その人に富が移転するので、必然的に社会は発展します。
スティーブ・ジョブズやイーロン・マスク、ジャック・マーや孫正義、ホリエモンのような天才へ、当たり前のように富の移転が起こる社会は、結果的に全体が栄え、全員が天才がもたらす恩恵を享受できます。
逆に無能が有能に嫉妬して足を引っ張るような社会は、誰もそれを発展させられないので必然的に廃れます。
先進大国ギリシャとの関係
数学書『原論』(げんろん、古希: Στοιχεῖα, ストイケイア、英: Elements)は、紀元前3世紀ごろに古代エジプトのアレクサンドリアの数学者エウクレイデス(その英語読みがユークリッド)によって編纂されたと言われる数学書。
古代の書物でありながらその影響は古代に留まらず、後世の人々によって図や注釈が加えられたり翻訳された多種多様な版が作られ続け、20世紀初頭に至るまで標準的な数学の教科書の一つとして使われていたため、西洋の書物では聖書に次いで世界中で読まれてきた本とも評される。
現代の科学や数学を規定する演繹的な思考方法は、なんと、ギリシャローマの時代に発見されました。
僕らが当たり前と感じている「思考」です。それすら、この時代に由来していると言えば、その文明の偉大さの一端が感じられるはずです。
原論を記述したユークリッド(エウクレイデス)は、どれほどの知能だったのでしょう。
庶民からすると魔法使いとなんら変わりはない程とは思います。
エウクレイデスは「光」に興味を持っていたようです。おそらくはそれが世界を動かす重要な要素だと直感していたのでしょう。
アインシュタインが、「光の速度」についての関心を幼少から持っていた、というキチガイぶりにも驚かされますが、エウクレイデスはさらにそこから数千年前の科学がない時代の人です。宇宙人を疑うレベル。
また、数千年前に、市民が哲学や数学的思考を当たり前のように歓迎していた社会があった、というのにも驚かされます。今の社会と比較するなら、当時の市民の知性はより際立ちます。
ギリシャローマの哲学者は現代の僕らよりも、はるかに知能の高い集団であったと考えられます。
ギリシャの優れた哲学や政治はローマの賢人により学ばれ、改良されてローマに受け継がれました。
ギリシャの都市はポリス。そのポリスの運営はポリティクス=政治。現代の「政治」の思想を生み出していることには、本当に驚かされます。
全ての道はローマへ通ず
ローマは土地柄戦争に明け暮れます。ただ、最初から滅茶苦茶な強さがあったわけではなく、初期はまあまあやられています。ケルト民族に街を蹂躙され、しかも金品も巻き上げられました。
ケルト人(ケルトじん、英語: Celt, Kelt [ˈkɛlt], Celt では [ˈsɛlt] とも)は、以前は黒海沿岸部から馬と車輪付きの乗り物(戦車、馬車)を持ってヨーロッパに渡来したインド・ヨーロッパ語族ケルト語派の言語を用いていた民族であると考えられていた。ケルトとは古代ローマで単に「未知の人」を意味し、民族を示す言葉として用いられてはいない。
ただ、痛い目を見たローマ人はケルト民族に対抗する為に一旦は国家としてまとまり、防衛線や情報網の敷設などを精力的におこない、蛮族の侵略に耐えうる国家の構築を急いだようです。
ローマ人は何度やられても起死回生のアイディアで復活します。
この時に始まった情報網と供給網の敷設が「全ての道はのローマに通ず」と言われる程の水路や道路などの交通網の発達を呼び、またそれが金と人の流れを生み出してローマを豊かにしたようです。
転んでもただでは起きないどころか、より強くなる民族です。
ケルト民族にボロボロにやられてもなお、より強力になって立ち上がれたことは、当時のローマ市民の不屈の精神と自立性の証明であるように思います。
一人一人が「俺が何とかしてやる」と立ち上がれる強い集団だったのでしょう。
学び
以上を抽象するなら、
多様な価値観の対立が権力者の監視を促し、ひいては民主主義的に社会の発展を促していく、と解釈できます。
この視点からボクシングや日本という社会を眺めてみるとどうか。
「価値観の対立が組織の発展を呼ぶ」
が妥当な推理だとするなら、その対偶である
「発展しない組織は対立のない単一的な価値観でまとめられている」
も妥当です。
また、「全ての道はローマへ通ず」を、「資本の流動性が発展を呼ぶのだ」と解釈するなら、「発展しない組織は固定化し流動性に乏しい」と言えます。
僕の観測とも整合する妥当な推理であるように感じます。
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