YouTubeはどしどしクソリプが送られてくるので、バカの研究が捗ります。
上のコメントが生まれる規則を明らかにします。
防衛機制(ぼうえいきせい、英: defence mechanism)は、受け入れがたい状況、または潜在的な危険な状況に晒された時に、それによる不安を軽減しようとする無意識的な心理的メカニズムである[1]。
僕がこれから行う行為は、バカの思考メカニズムの推理にも用いる「防衛機制」と呼ばれる、心の防衛反応です。僕の防衛本能は、不快な事象に対して常に僕なりの規則を見つけ出して僕の心を守ってくれます。
メカニズムが分かれば、一々に腹を立てる必要がなくなります。
「風が吹けば埃が舞う」のは自然なことなので苛つくことはありません。原理上に仕方なくそうなるのです。「ああ、風が吹いているなあ」と思うだけです。
すなわち、バカの規則性を明らかにすることは、僕なりの心を守る行為であるということです。
上記のコメントは、動画の内容ではなく「僕の話し方」が焦点となっています。
単に「話し方が変だ」と感じたのであれば、それを無視して内容だけを抽出すれば良いはずです。それが建設的な生き方です。
仮に本当に不快であるなら、コメントなぞせずに立ち去れば良い。
彼彼女は何故そうしなかったのか。
僕は聞き手が分かりやすいように論理的に話を展開したつもりです。
仮に誤謬があるのなら、それを指摘しやすいように、「仮定」を宣言しています。
以上の仮定から、まず推理されるのは、彼彼女が、自分がバカであることを認められなかった可能性。
あえて費用をかけてコメントを残した、かつ、その内容を”話し方”という動画の趣旨からはズレた内容にした、更に、それを攻撃とも受け取れられかねない内容にした、以上から、彼彼女のコメントの目的はマウンティングである、と結論しました。
恐らく、彼彼女は、話の論理が追えなかったのでしょう。仮にそれができていたのなら、あえて焦点を”話し方”にする必要がありません。論理的に誤謬を指摘すれば良いだけのこと。
しかし、それをしなかった。
これは憶測ですが、論理を追えていないことを認めることは、自分がバカであることを認めることと同義である、と彼彼女の本能は認識したのでしょう。故にそれを否定せずには立ち去れなかった。
本能には自らの心を防衛する義務があります。つまり、彼彼女の防衛機制は「話し方」に論点をすり替えて僕を攻撃することで、自分自身の愚かさから目を背けさせたわけです。
これは、SNSで他人の不祥事、例えば不倫などを攻撃してしまうこととも似ています。
それが社会に甚大な影響を与えるでもない限り、それに関心のない人は他人に自分の時間を費やすことはしません。そんなことに時間と体力を費やすことは、人生の浪費ですから。
当事者間の問題である他人の不倫に口を出したくなるのは、心の何処かで不倫をしたいとか、真面目な自分が損をした、と感じるからでしょう。無意識下の損得勘定でしょうが、恐らくは「ルールを守る為のコストを支払う自分だけが損をしている」と、すなわち「違反者のせいで間接的に機会損失を被った(無関係の他人だか…)」と、一種の被害妄想に基づく防衛機制が働いている、と僕は考えます。
要するに、「損をした」という感情から自分を守る防衛機制として、他人を攻撃している、ということ。当事者を攻撃することで、”妄想の損失”との帳尻を合わせる行為です。さらに深い位置にあるのは、群れの中での順位が低いことを自覚している潜在意識が、群れの中に自分の格下を作りだして安心しようとする防衛本能だと思われます。
この推理が妥当なら、社会的(家族や会社、友達など)に地位や役割を承認されていない中年や高齢者ほど、群れの他の個体に対して攻撃的であると言えると思います。陰口を好むのもこのタイプ。
太古は、役立たずとバレたら口減らし、姥捨が当たり前だったようですから。
無能故に、生産的な手段による群れへの貢献ができない個体の選択肢は、陰口で姑息に順位を高めることだけなのでしょう。だから、わざわざSNSまでやってきて攻撃するわけです。
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