僕は僕が美しいと感じるボクシングを目指します。それこそがフローを起こし成長を加速させる最短路だから。
自分の美しさに従う
審美眼≒役割
僕の美しさは僕だけのもので、あなたの美しさはあなただけのもの。それは神(自然)が人に与えた役割です。
子供が初めはウルトラマンや仮面ライダー、ポケモンに美しさを見出すように、ボクシングを始めた頃はみんな同じ選手、ディフェンス、パンチに美しさを見出します。しかし、それを突く詰めていく過程で個性が分岐し始めます。GGGに美を見出す人、カネロに美を見出す人、メイウェザーやパッキャオに美を見出す人。深めれば深めるだけ、それぞれに与えられた審美眼が開眼していきます。次第に、人は誰の美しさでもない自分だけの美しさに魅了されていくようになります。
始めは同じような落書きを楽しんでいたはずの芸術家の個性がどんどん鋭利に分岐し研ぎ澄まされていくように、ボクシングも審美眼に従うことでどんどん鋭利になっていきます。
他人と自分の境界線が浮き彫りになることで、自分が何に優れているのか、一体何に注力すべきなのかという個性が明確になっていき、最終的にはオリジナルの技術、戦略が出現してきます。
みんなが見たことがあるようでいて、その実は誰も見たことのない技術、戦略は既存の対応策を無力化します。
自分と他人の境界線を明確に認識することは、あなたに与えられた役割を定義することでもあります。
自分だけの美しさを信じる
難しいのは審美眼を信じる勇気を持つこと。客観的な正しさやマトリックスの住人はあなたの審美眼を曇らせ、神があなたに与えた役割を奪おうとします。
最初はぎこちないかもしれない、カッコ悪いかもしれない。だけどそれはほんの短い時間だけ。自分だけの審美眼を信じ従うことができたなら、いつの間にかそれは他人を魅了する美しさに変わっています。逆に正しさに安心を見出したら、いつまでもあなたの目指すかっこよさは実現されません。誰にもあなたの美しさ(個性)を認めさせられないまま、いつまでも悶え苦しむことになります。
すべての情報はあくまでもあなたの感じる美しさに従属させてください。形だけ、見てくれだけを取り繕って正しさを再現することは何も楽しくないし、そうしてしまうとあなたはいつまでもあなた自身を認められません。潜在的な「負け犬、臆病者」という自認に苦しめられます。
あなたの人生はあなただけのもの。僕や誰かに押し付けられた得体の知れない正しさに人生を浪費するのは緩やかな自殺です。
僕は今は自分のボクシングにしか興味がないし、自分の美しさだけを追求しています。ここまで自己表現が進んでくると本当に楽しい。正しさや勝ちだけに囚われて見失っていた自分を少しづつ取り戻しているのを感じます。技術なんかよりこの楽しさを僕は共有したい。
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