客観 & 熟慮 vs. 主観 & 直感

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「インナーゲーム」シリーズ続きます。ガルウェイは明言していないのですが、僕なりの解釈でインナーゲームの本質を抜き出すなら、それはタイトルの通りです。「客観 & 熟慮 vs. 主観 & 直感」。

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客観 &熟慮 vs. 主観 & 直感

集団の意思決定の論理が個人へ押し付けられている

皆さんはこの対決にはどのような印象を受けますか。前者が勝ちそうですか?それとも後者?
恐らく、前者が多いのではないかと思います。
確かに、組織化された集団においては前者だと僕は思います。企業や政治における選択には多くの利害が複雑に入り混じりますからその調整が必要になりますし、集団の勝利は高確率で勝者となった集団全体を利するため、個人の集団内における多少の損失はある程度受け入れざるをえず、多数派の意見が優先されます。
以上の理由から集団の意思決定では利害の調整を行う客観と熟慮に軍配があがるだろうと予想できます。社会的な利益の為、僕達は幼少から前者の思考形態を要求されます。

しかし個人レベルの意思決定においては後者が勝ると考えます。
集団レベルでは富の最大化という目に見える分かりやすい価値観が統率を執るために集団の全員に共有されています。しかし個人レベルでそれを当てはめていいものでしょうか。
それぞれに異なる価値観(合理性)があります。目指すべきゴールが異なれば、当然行動の合理性も異なります。ボクサーを目指す人と女優を目指す人とでは同じ出来事に対しても異なる判断を下すはずです。

現代社会は集団レベルの意思決定の手続きを義務教育で教え込み、それが正しいと洗脳します。それは組織に所属することが前提となっているからです。組織内の個人に直感的に動かれてしまえば、組織全体の利益を損なってしまう確率が高くなるので、社会は市民が子供の内からメディアと教育を通して経済的合理性による熟慮を叩き込むわけですね。

「客観 & 熟慮」よりも「主観 & 直感」という生き方に個人的な合理性があるだろうと僕は感じます。なぜなら経済的合理性を追うよりも、僕は僕の信念と価値観を追求したいからです。お金を追うよりもその方が僕は幸せです。「金の為に働く」では動機が弱く挫折します。しかし、「自分の理想を実現する」であれば、金が必要なら何とかしてやろうと前向きになれるんです。

話が大きく脱線したのですが、「インナーゲーム」は生き方の本です。
内容はかなり抽象的で、これ単体で理解するのは難しく感じます。
僕は自らの経験を下地としてインナーゲームの内容を理解しなければなりませんでした。しかし曖昧だからこそ、様々な解釈の余地が生まれるのも事実だと思います。要するに旧約聖書みたいなもの。

僕が思うに、直感に従うとは「白うさぎを追う」こと。

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Die Hard – ダイ・ハード
この記事を書いた人

第41第東洋太平洋(OPBF)ウェルター級王者
元WBC世界同級34位
元WBO-AP同級3位
元角海老宝石ジム所属

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