「等しい(=)」って、何…?

股関節おじさんの勉強部屋
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数学の集合論を学んでいると「同値」て概念が気になって、寄り道して同値の議論を眺めていたら「=」って記号が気になり始めて、「そう言えば『=』って論理記号は当たり前のように使っているが、それはどう定義されているのだろう」とWikipediaを調べました。

二項関係と集合論で少し定義が異なるようで、二項関係の方を見てみると「相等」を意味すると記載があります。
「相等って…何やんねん」と。
これについてネットでいくら知らべてもWikipediaの不親切記事しかでてこない。

絶望しかけていたのですが「そもそも『=』って公理とかそのレベルの話なんじゃね?」と視点を変えて検索してみると「等式」というページにたどり着きました。

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「=」の定義

等式の定義って難しくないですか。

本当に厳密に真に「等しい」って?

「弱い等しい」は僕らは日常的に使っていますが、強力な厳密な真の「等しい」の定義ってできる?ってことなんですよ。僕の疑問は。

「相等」の定義

等式の定義をWikipediaから引用します。

通常、等号は以下の2つの公理によって定義される[1]

反射律: 対象 a が何であっても a = a は常に成り立つ。

代入原理: 対象 ab が a = b であるときには、一つの自由変数 x を含むどんな命題関数 P(x) についても P(a) ⇔ P(b) が(両辺ともに一意的な意味を持つ限りにおいて)常に成り立つ。

さらに、代入原理と反射律から以下の性質が導かれる。[2]

対称律: 対象 ab について a = b が成り立っているときはいつでも b = a も同時に成り立つ。

推移律: 対象 abc に対して a = b と b = c が同時に成り立っているときには常に a = c も同時に成り立つ。

Wikipedia

僕の知りたかった情報が載っている感じ。専門用語多すぎて混乱しますが、慌てず「反射律」もWikipediaから引用します。

反射律

集合 X における反射的な関係 R は、X の全ての元 a について、a が自分自身と R の関係を持つ。数学的記法では次のように表される。
$\displaystyle \forall a\in X,\ aRa$.

無反射的な関係 R は、X の全ての元 a について、a が決して自分自身と R の関係を持たない。数学的記法では次のように表される。
$\displaystyle \forall a\in X,\ \lnot (aRa).$

Wikipedia

Wikipediaって勉強もできて暇つぶしに歴史や事件事故の記事読んだりと正直Youtubeより重宝してるんですけど。如何せん、不親切すぎる。専門的な記事は専門家しか読めん。
人類史上でも見ても偉大な発明だと僕は思うのですけど。

閑話休題。
難しいので翻訳に挑戦していきます。
「集合Xにおける反射的な関係Rは~」のRは「条件」を意味しています。
「自分自身と関係Rを持つ」って表現だと日本語に馴染みがなさすぎて違和感というか日本語おかしくね?となるですが、頭を切り替えて「元aが元aのグループ属している」と僕はイメージしました。

例えば、集合Xの元長濱陸は長濱陸に属している、みたいな。
違和感が半端じゃないのですが。ラッセルのパラドックス的なイメージかなと。

もしくはあるクラスの全員が自分を委員長に推薦しているみたいな。
写像ですかね?
$f\colon A \to A$
文字通り反射されるような感じだから反射律なのかなあ。
ちょっと漠然としたイメージですがやってれば輪郭が見えてくると思うので進めます。

無反射関係は反射関係を否定しています。
どのaもa自身と関係がありません。
集合Xを日本の子供として、条件Rを親子という二項関係と定義した場合、集合Xのどの元を選んでもRの条件を満たすことはありません。

反射閉包(reflexive closure)R = は、R = = { (xx) | x ∈ X } ∪ R と定義される。これはすなわち、R を含む X 上の最小の反射関係である。これは R を含む全ての反射関係の交叉と同じと見ることができる。

無反射核(irreflexive kernel)R は、 R = R $\backslash$ {(xx) | x ∈ X}あるいは、関係Rにおいて無反射的な最大の部分集合として定義される。これはすなわち関係Rの無反射な部分関係すべての合併に等しい。

Wikipedia

反射閉包は集合X × Xの(1,1),(2,2)だけを抽出した部分集合?
無反射核はこれらを除いた部分集合?
ネット上では抽象的な説明だけで何故このような定義が要請されるに至ったか理解できていませんでした。まあ今後学んでいたら分かるだろうってことで、とりあえずは認めてしまおうと思います。

対称律

対称関係(たいしょうかんけい、: Symmetric relation)は、数学における二項関係の一種。集合 X における二項関係 R が「対称」であるとは、X に属する全ての a および b について、aRb が成り立つなら bRa も成り立つことをいう。

数学的に記述すると次のようになる。
${\displaystyle \forall a,b\in X,\ aRb\Rightarrow \;bRa}$

Wikipedia

$a < b$
はaとb入れ替えられないから対称律は満たさないのだけど
$a ≦ b$
はaとbを入れ替えられるから対称律を満たす。

推移律

推移関係(すいいかんけい、: Transitive relation)は、数学における二項関係の一種。集合 X の二項関係 R が推移的であるとは、Xの任意の元 abc について、a と b に R が成り立ち、b と c に R が成り立つとき、a と c にも R が成り立つことをいう。推移的関係とも。

一階述語論理でこれを表すと、次のようになる。${\displaystyle \forall a,b,c\in X,\ a\,R\,b\land b\,R\,c\;\Rightarrow a\,R\,c}$

Wikipedia

$a < b,b < c$
が成り立つなら
$a < c$
も成り立つので、推移律が満たされます。

=は反射律、推移律、対称律を満たす。
<は反射律を満たさない。
≦は条件つきで反射律、推移律、対称律を満たす。

僕の現状の理解が正しいのか疑問が残りますが、これ以上は頭がおかしくなりそうなので無理に理解しようとせず前へ進みます。
上記の定義が必要とされた状況に出会った時に納得できるでしょう。

「等しい」って

結局、冒頭の「等しい」に関する疑問は解決できませんでした。

当たり前のように「等しい」って僕らは使いますが、厳密に考えてみると僕は「等しい」が分からなくなるのです。

身近な僕の疑問だと水分子などの宇宙を構成する分子。
宇宙の至るところにそれはありますがが、例えば水分子は宇宙の果てから果てまで全て「等しい」のでしょうか。
巨視的には全ては同じように振舞うのでしょうが、とことん微視的にはどうなんだろうと僕は思うのです。
つまり、物質の最小単位まで厳密化した場合。
物質に最小単位があるということが前提になる議論ですが、もしも最小単位で「等しい」のなら何故、空間的に離れた分子同士の同期が起こるのか疑問に思います。
「距離の概念は人間だけのものだから?」「コンピューターゲームようにデータの参照が全て同じアドレスだから?」とSF的に考えてみるとワクワクします。

もし最小単位で見た時に別々の振る舞いをしている、つまり「等しくない」のなら、「等しい」とはどのラインから成立するのだろう、と僕は思うわけです。
水分子の話なら「一体全体どのラインから水分子は水分子たり得るの?」ってことですね。
その等しいラインをさらに厳密化していった時に、デジタルに境界線が見えるなら、それは奇妙ですし、曖昧に「等しい」のラインがあるのなら、それも僕は奇妙に感じるわけです。

この奇妙さって
「宇宙は最初からあった」「宇宙は突然生まれた」
って話とも共通しています。
いずれにしても因果関係から解き放たれていて気持ち悪い。

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Die Hard – ダイ・ハード
この記事を書いた人

第41第東洋太平洋(OPBF)ウェルター級王者
元WBC世界同級34位
元WBO-AP同級3位
元角海老宝石ジム所属

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コメント

  1. レンマ学(メタ数学) より:

     ≪…「等しい」…≫を、≪…因果関係から解き放たれて…≫で、数の言葉ヒフミヨ(1234)が、平面(2次元)からの送りモノとして眺めると、言葉の点線面 カタチ(〇△□ながしかく) 演算符号(+-×÷=) 十進法の基における西洋数学の成果の符号(i e π) 無限(∞) [1] [0] 数字(2 3 4 5 6 7 8 9) の分化・融合 を[人]が、1・2・3・4次元で閉じ(計算でき)ているのを、『離散的有理数の組み合わせによる多変数関数』の『存在量化確度方程式』『存在量化創発摂動方程式』の帰結から、数の言葉の世界は、双対(相対)性で眺望したい・・・

    コスモス表示(自然数[1]は、1・2・3・4次元の【1】の存在量化(∃)を保持と観る)    カオス表示 (i(直交(垂直)概念)(π/2) e □の1=1×1の纏め上げ 数式表示(-1=i² で実数直線に溶け込む) π 2次元表示の曲線(πの1次元表示は、√πとする)

     ≪…単位で「等しい」…≫を、数学では、[割るというコトが単位を創る]とすると
    コスモス表示の立方体(1×1×1)から1次元の[1]で割ると正方形(1×1)また1次元の[1]で割ると線分[1]に生る。この操作の過程において、i(直交(垂直)概念)(π/2)が潜み込むと観る。これを平面として捉えたのが『自然比矩形』で、
    (e-1)=(e-2)+(3-e)+(e-2) に進み行く自然数を、「すうがくでせかいをみるの」的に観える。(絵本「もろはのつるぎ」)
     カオス表示は、円 球 に[π]の係数として(1 2 3 4)が顕れる。(『球の数』)

     平面(2次元)からの送りモノとして眺めると、数の言葉ヒフミヨは、〇と□のなぞり逢 と して半径[1]の単位化か[1/√π]での単位化で、カオス ⇔ コスモス な世界に、≪…「等しい」って…≫で、事象間を量化するコトができる数の世界がある(∃)と観たい・・・
     〇△▢のビッグバン・ビッグクランチ的なモノが、言葉の世界と数の世界(数学)を繋いでいるようだ・・・

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