集合と写像の個人的なイメージ

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「=」の数学的な概念は理解できました。
しかし、とてつもない違和感を覚えます。

それは「=」の数学的に定義された概念と僕が日常的に使用している「=」に抱く主観的な意識内容である観念が一致していないからです。

数学の「=」の概念は僕の意識内にある何か別のものを表している、という直感が働いているのです。
今回は数学的な「=」の概念と僕の意識内にある何かを一致させ、この違和感を解消しようと思います。

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写像と演算

僕が「=」の定義を学んだ感覚では、数学的な「=」は演算、つまり写像のようなイメージです。
例えば
1 = 1
の「=」は1を入力すると何かの処理を加えてか、何もせず1を出力する演算、または集合Aの1と集合Bの1を対応付ける写像、のような印象を受けます。
だから僕が日常的に使っている「天秤」のイメージの「等しい」とはどこか違うような違和感を覚えるわけなんです。

「=」のイメージをまるっきり転換する必要があります。
天秤のイメージの「=」は捨てて、「=」を演算子、つまり演算(写像)を表すシンボルと考えることで納得できました。

演算とは
1.《名・ス他》(数値)計算を行うこと。その計算。運算。

2.数学《名》集合の一つの元(幾つかのものの組であってもよい)に他の一つの元を対応させる規則。 「論理―」

引用

義務教育の数学では厳密な「=」の定義やイメージは教えず、日常的に僕たちが使用している曖昧な「等しい」の観念とそれを対応させてしまいます。
僕は無自覚に義務教育の延長線上にある観念で数学的な「=」の概念を理解しようとして、気持ち悪くなってしまいました。

これは教訓です。
数学を学ぶには「集合」と「写像」という概念が前提になります。
先入観を捨てて新たな概念として受け入れた方がストレスが少ない。

あみだくじ - Wikipedia

僕の写像や関数のイメージに近いのがあみだくじです。

集合X{A,B,C,D,E,F},Y{1,2,3,4,5,6}を対応付ける経路(規則)が写像。

「=」は対応が一本しかないあみだくじ。

影絵とは - コトバンク

もしくはこんな感じ。
「写像」って字からも脳が自動的に連想していると思います。

あみだくじの方がシンプルだけど角度(入力)によって写し出される形(出力)が変わるからこっちの方がしっくりくる気もする。

まだ写像の輪郭はぼやけていますが、今後学ぶ過程でもっとくっきりしていくはず。

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Die Hard – ダイ・ハード
この記事を書いた人

第41第東洋太平洋(OPBF)ウェルター級王者
元WBC世界同級34位
元WBO-AP同級3位
元角海老宝石ジム所属

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