俺(主観)対俺(客観)
承太郎が打倒を目指すディオのスタンドは承太郎のと瓜二つ。
承太郎はジョースター家が持つディオとの因縁(≒宿命)を背負う。
ディオには、ジョースター家と似ているが正反対の、つまり鏡写しの性質が与えられている。
ディオvsジョースター家は、ジョナサンの頃からの本質的な対立がある。

瓜二つだが根本から性質が異なるディオに対して、承太郎は「おれが決めたからだ」と言い続ける。
そして、最後にディオを屈服させる。

“おれを”怒らせた

“おれが”裁く

“おれが”裁く
三部中で何度もこのフレーズが繰り返えされているのは、決断を行うのは世間でも法律でもなく、承太郎の魂(≒主体性)であることを強調する為だと考えられます。

霊的な意味ではなく、主体的な精神を指して

結果史上主義者

結果史上主義者への啓発

覚悟との対比が運命

覚悟≒主体性≒魂
三部の、というかジョジョ全体で一貫したメタファー。
全ての人が抱える人生の葛藤のメタファー。
登場人物の覚悟を問う物語。
遺伝的資質や家柄(他人の評価)など、自分で決められないことと、自分で決められる自由意志(≒覚悟)のせめぎ合いのメタファー。
※自由意志は存在しない説もある
マトリックスもジョジョも聖書も仏教も。
ヒトの創る物語が同じ構図になるのは、ヒトの社会がこのフラクタル構造になっているから。
ヒトの知性が背負うカルマ。
心の中にいる、「みんなはこうしてるよ」と言ってくるもう一人の自分に、「知らん。俺のことは俺が決める」と伝える構図の物語
イエス「とうして神はユダヤ人だけのものなの?」
ブッダ「仏教の教えを守ろうとすることが仏教から最も遠い。」
「こうあるべきだ」と伝えてくる心の中のもう一人の自分を説得する物語がジョジョ。
インナーゲームのセルフ1とセルフ2の構図。
僕の感覚的には、心の中には声の大きなリーダーの他にも何人かの人格がいます。
彼らは場面に応じてスイッチしています。
僕はボクシングの試合の時と娘と接する時は人格が明らかにスイッチしています。仕事の時と友達と話す時も。
あなたもそうだと思います。
複数の人格が何かの拍子に完全に分離されてコントロール失ってしまう状態を、所謂多重人格症(解離性人格障害)と呼んでいる。
基本的にヒトの創る物語は「主観vs客観」のメタファーになっている。全人類に共通した悩みの本質だから。
あなたの心の中にも何人も住んでいるはず。その幻覚があるはず。
あなたは僕がそうするように、時々そいつらと会話しているはず。これが知性。
あなたの主人格のアイデアに様々な視点から解釈が与えられる。これを繰り返す度にあなたのアイデアは洗練されていく。そうでしょ?

当たり前すぎて疑問に思うことがない。
恐らくは子供の頃は主人格のみ。
大人になる過程で人格が分裂してしまう。
心の中の人格を完全に分離して自由に使い分けることをブッダは
悟り≒輪廻転生からの解脱
と説明し
ニーチェはラクダ→ライオン→子供
と説明したのだと考えられる。
主体的になることが人生哲学の雛形。
だから保存されている話は古今東西でこの形式ばかり。
子供の頃は一つの人格。
大人になる過程で様々な人格が形成される。時々主人格が副人格に乗っ取られる。副人格に体を乗っ取られたのがベータ。
SNSにいっばいいます。自分ではない誰かや何かの為に戦うベータ。主人格が失われてしまったベータ。
ブッダ「そんなに文句を言うなら出ていけばいい。誰もお前を縛り付けていない。お前を縛り付けているのはお前自身だ(自縄自縛)。」

ヒトは一つの思想で数億人を統率します。
他の動物は数十から数百が精々。
幻覚を共有して統率してる。
貨幣、法律、国家、数、聖書、年功序列、伝統など。
無いものを在ると幻覚してしまう。
ジャングルでは通用しない幻覚。百年前も通用しない幻覚。明日には通用しないかもしれない幻覚。
臭いや顔で部外者を識別するのではなく、幻覚を共有しているか否かでそうする。
ネトウヨ、ネトサヨ、ネトフェミなどが典型。実在しない何かに人生をかけている。その滑稽さを自覚もしない。だからベータ。
魔女狩り、ホロコースト、コロナ警察、ネトウヨ…

ベータの性質は暴力と強く結びついている。自己喪失する程に暴力的になる。
ホモ・サピエンスがそれ以外の人類を滅ぼした能力。
実在しない日本人という幻覚を理由に他人を差別、攻撃。
ヒトの知性が背負うカルマ。
閑話休題。
承太郎はこれでもかと「おれが決めるんだ」と言い続ける。
運命や宿命を強調するディオ(自分自身の分身)を否定し続ける。
「お前はおれを怒らせた。だからおれがお前を裁く。」と宣言した承太郎にディオは屈服。
ディオ「できないよ。どうしてできると思うの?この世は才能(運命)なんだよ。失敗したらどうする?間違えたらどうする?」
承太郎「才能は結果論以外の何?失敗したら何?間違えたら何?ホームレスでもなんでもやってやるよ。なめんなよ。」
ボクシングの強さと承太郎の強さには通ずるものがある。
常に「おれ」が判断の主体。筋の通った強さ。


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