
ボクシングのポジショニング
「ポジショニング」やら「距離感」やらの技術は、ボクシングを無意味に複雑化していると思います。
たぶん、ポジショニングは「嫌がる」こと。
ロマチェンコ
ロマチェンのロマステップの気持ちは「隠れたい」だと考えています。
その気持ちに素直に従っているわけです。ヒトの生理的な反応速度や一般的な運動の方法から演繹的に考えるなら、「ボクシングとは〜」「ポジショニングとは〜」と考えながらボクシングが実践されているはずはありません。
“なんとなく”行われています。
言語による思考は体の動きを止めてしまうからこそ、「なんとなく」が重要です。


メイウェザー
ロマステップが湧く泉はイウェザーのディフェンスが湧くのと同じ泉。
徹底的に防衛本能に従う(≒嫌がる)こと。
その延長線上で、メイウェザーは相手の背後に隠れようとしている、と考えられます。
「ポジショニング」のような高尚な技術観は、真理をボクサーの目から隠していると言えます。

手打ちで良いはずのパンチが、「体重移動云々」と歪められてしまうに。
エニス
エニスのディフェンスはカッコ良いですよね。所謂スリッピングアウェーを多用します。
複雑化された技術観の元では、それは超高度な技術だと解釈されます。
子供にボクシングを教えたら分かりますが、彼らが最初に覚えるディフェンスはむしろこれです。顔を背けること。
「嫌がっている」という視点なら、それは最も簡単なディフェンスだと言えます。

あなたがエニスのようにパンチを躱せるなら、僕の言いたいことがわかるはずです。それは反射的に起ってしまうことであり、高等技術などではありません。
反射的に起きているだけの最低難易度の技を、高等技術かのように語ってしまうような差を、認知(≒技術観)はボクサーに与えていると考えてみてください。
仮に「スポーツ技術が生理的な反射の延長線上にある」が真なら、「技術は積み重ねて習得する」という認識は誤りです。
技術や練習方法はそれを基に導かれてくるので、後者のボクサーは誤りを積み重ねます。
よって後者と前者には最終的には絶望的な差が生まれるだろうと予想できます。
「スポーツ技術は生理的な反射の延長線上にある」という仮定は皆さんの経験や観察ともきれいに符号するのではないかと思います。
これが大人と子供の学習能力の差であると言えるのかもしれません。
カネロ
カネロが脇腹(≒大腰筋)を収縮させて相手のパンチングレンジを避けながら近づいていくのがわかるはす。
※ロマチェンコも同様

つまり「隠れるディフェンス」の構成要素として、太い腸腰筋が考えられます、
大腰筋が弱いなら、カネロのように危険な空間を避けながら近づこうとしてもできません。
腸腰筋の未発達の赤ちゃんはどれほど願っても立てるようにはなりません。
この場合は恐いのを我慢して近づくなど、様々な代償が起こると考えられます。
腸腰筋の強さは「隠れる」の必要条件。


カネロとクロフォードは急所をギリギリ外しています。考えてやっているとしたら人間技ではない。
「この角度は急所だ。間に合わない。横を向こう。」
スパコン並みの計算能力。漫画の世界。
パッキャオ
パッキャオの相手の背後へ回り込むようなフットワークは、「考えて」ではく、感情に従って”起こっている”と考えられます。

フォアマン
「嫌がる≒ディフェンス」との仮定には、フォアマンの合気道を説明させられます。
ロマやデレブが相手の頭や腕を掴まえて動かしてるのも、体当りして相手の動きを封じているのも、メイウェザーの反則テクニックも、ディフェンス≒防衛本能の反射という解釈は説明してくれます。






井上尚弥
この解釈は一流が一流なのは、「ヘッドスリップとは〜」「ダッキングもは〜」「スリッピングアウェーは〜」と一々を区別しないから、と敷衍できます。




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