何故、本番で練習の再現ができないのか

よもやま話メンタル
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再現性を高める

弱さを認めない弱い人は弱いまま

「練習ではあれほど上手くやるのに、何故試合になるとできなくなるのか」
言われたこと、または感じたことありませんか。
僕の頭を悩ませ続けた問題です。

何故本番のプレゼンでしどろもどろに…何故本番のプロポーズで急にかっこ悪く…。

「練習ではあんなに上手くできたのに」

練習で本番のメンタルが作れていないからです。
鉄拳、ストリートファイターで練習し、本番で急に殴り合いをしたらボコられます。

練習で殴り合いの危機感をイメージできていません。

「練習の感覚で本番に望むから」ではなく「日常生活レベルで生きる為に要求される闘争本能を引き出せていないから」からが正しい。

プロやアマの選手が子猫のじゃれ合いみたいなマスやってたらダメです。「触られたら死ぬ」と思わないと。練習でも本番同様に「シュートを外したら死ぬ」と思わないと。

失敗しても歓迎されるお客様の気分でやってる内は何をやっても上手くいきません。

選手に限ればマスもミット打ちもバッグ打ちもじゃれ合いのつもりでやっていてはダメ。試合で痛い目に合わされます。試合同様に打ち損じ、避け損じたら死ぬって緊張感を持ってください。じゃれ合いの練習では試合で半分も練習を再現できません。

僕は平仲でトレーナーやってる時は試合の気持ちでミット持ってました。それが選手に伝染するから。

男らしさ(アルファ)と再現性

厳しい言い方をすると、練習や日常生活で腑抜けているから試合でも腑抜けてしまうんです。

石田会長と時々マスやりますが、やっぱり遊びでも緊張感はあります。というか緊張感がないと遊びでも楽しくない。スマブラは子供ながらにお互いの尊厳をかけた意地と意地のぶつかり合いをするから楽しいわけで、忖度して乳繰り合っていても何も楽しくありません。遊びといえど石田会長は男の尊厳をかけてくれます。だから楽しいし、戦いの後でお互いを認め合い尊重し合えるのだと僕は感じます。「会長だし選手にやられてもいっか」「会長だから遠慮しとこ」なんて一切ありません。戦いは遊びでも戦い。

会長となら、本気のババ抜きが楽しめそうです。

閑話休題。ある側面では再現性は「なるようになるさ!」という男らしさに由来していますから、本番に強い男は男らしく頼もしいです。具志堅時代の比嘉や木村はふざけているようで、なんだかんだカラッとした男らしさがあってベタベタした気持ち悪さはありませんでした。だからなのか年齢は違えど一緒にいてストレスはありませんでした。僕は気難しそうに見えるみたいで、遠慮されることが多いのですが、彼らは僕に遠慮することはなくからかってきたり、同世代と同じように接してくれました。その彼らの男らしさに由来する本番の逞しさが僕は羨ましかった。

僕の問題の根底にあったのは「自分は男らしくて恐怖に鈍く、度胸があるのだ」という錯覚です。比嘉や木村はナチュラル鈍感野郎なんですが、僕は繊細なので、こう思ってる内は何も改善しませんでした。
「何故、男らしくいられないのか、何故こんなにも女々しいのか」と弱さを認めて苦しまなければ、僕のような普通の男は男にはなれません。

いつまでも本番で蹴散らされる。弱いまま。

闘争本能により駆動されるシステムが自動システムであり、記憶の再現以上が起こるフローです。

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この記事を書いた人

第41第東洋太平洋(OPBF)ウェルター級王者
元WBC世界同級34位
元WBO-AP同級3位
元角海老宝石ジム所属

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