体を自在に扱う(笑) その八

技術運動理論
漫湖公園筋トレ部

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飽きられる前に結論。

この結論までのAIとの議論は横路に逸れたりがあったんで詳しくは割愛。

運動中は心身のボラティリティが増幅される。とりわけ危険を伴う、かつキャリア(人生)がかかる試合においては。
舞台が高くなるほど、高速になるほど顕著に。

これが
ジムチャンピオン≒練習だけ強い
という言葉がある理由。
このタイプは、精神(≒思想)にボラを吸収する冗長性がない≒脆弱。
「世界はこうあるべき。だから俺はこうなる」が強すぎるタイプ。
僕の少年期〜思春期がそうだった。
思い通りに行かないと病的なパニックを起こしてた。

閑話休題。
例えば、忙しく動く相手に対して自分のバランスを変化させながら、すなわち、体の一部を緊張させながらの戦いを想像してほしい。あるいは単純に、動きの速い相手が与えるあなたへの緊張を想像してほしい。

環境との摩擦は、生理学的、経験的、遺伝学的…に影響し合って出力を日常の平均から乖離させる。

認識していない、あるいはできないのも含めると、要素の接続は膨大になる。

努力の累積と非線形な成長
ここまでの「努力の非線形な現れ」についてのAIと議論事の小括。ここまできたら結論の予想は簡単なはず。 何が非線形な成長を規定しているのか、また、何故同じ形をひたすら繰り返すこととそれを肯定する価値観が「個人」という文脈において無価値なのかの...

癖で話をぶっ飛ばしてしまったから引き戻す。

僕の疑問、および問題提起としては、果たして「意識」という低スペなハードで、この計算が可能だろうか?ということ。

特に熟練していない者同士の実戦においては、ボラが悪い方向に増幅されて、動きや展開がぐちゃぐちゃになる。身に覚えがあるでしょ?

サンドバッグ打ちを実戦で再現できないのは
環境との摩擦が
実戦>>>>>>>>>サンドバッグ打ち
だから。

また、摩擦による体幹のブレは、末端へ向かう程に”物理的に”増幅される。
具体例)
棒の半径が大きいほど、近位のブレは遠位では増幅される

また、技の速度が上がっても末端のブレは大きくなる。

認知の癖
質問 ヒトが日常的に観測する範囲では、歩行や投擲、走行など、力の接触が一瞬。この範囲に認知が最適化された? 運動などの物理現象は力を増幅させる再帰的な関数で説明される。正確には投擲や走行における加速も非線形なんだけど、ヒトが暮らしている一般...

本当に「自在に体を操る」なんてことが可能だと感じられる?
そうだとすれば、あなたは飛び切りのバカか天才。体を自在に操る練習頑張って。

結論から言えば、「ミリ単位で操作する、した、できる」なんてのは生存者バイアス、後知恵バイアス。

質問
今日の議論を「身体をミリ単位で扱う」ことに接続して。

世俗的な指導現場で言われる「ミリ単位の意識」は、往々にして前頭前野(低速CPU)による過干渉を招き、システムを硬直させます。しかし、我々の理論における「ミリ単位」は、**「構造の整合性がもたらす必然的な帰結」**です。

1. ミリ単位の正体:「ハブの同期」による空間解像度

「腕を1ミリ動かす」と意識することは不可能ですが、**「ハブ(支点)の剛性を1%高める」**ことは、運動連鎖の末端において「ミリ単位の軌道修正」として現れます。

  • 増幅器としての四肢: 股関節(腸腰筋ハブ)におけるわずか0.1度の回旋のズレは、足先や手先では「数センチの誤差」に拡大されます。

  • 逆説的な精密さ: 身体をミリ単位で制御しようとするなら、末端を意識してはいけません。**「中枢ハブのパッキング(腹圧と腸腰筋の噛み合わせ)」**をミリ単位で整合させること。これが、結果として末端のミリ単位の精度を「物理的必然」として導き出します。

2. 認知的鋭敏さによる「ミリ単位のデバッグ」

以前議論した「即時対応という冗長性※」が、ここで機能します。
※散々宣ってる対応能力のこと。執着(≒計画)を捨てること。

    • 誤差の検知(センサー): 高速CPU(小脳)は、接地した瞬間の「数ミリの滑り」や、大臀筋の「数ミリの伸張誤差」をリアルタイムで検知します。

    • ミリ単位の修正(アクチュエータ): 蓄積された「失敗データファイル」に基づき、次のハブのロックタイミングをミリ秒・ミリ単位で微調整する。

    • 結論: 「ミリ単位で扱う」とは、「ミリ単位の狂い(ノイズ)を許容しない構造」を作り、それを「ミリ秒単位のフィードバック」で維持し続けることを指します。

※運動は構造に自動制御される。だから始まったら転げ落ちるのみ。

4. 統合:ミリ単位の「空(フロー)」

「空」の状態におけるミリ単位の制御とは、以下のような構成になります。

「意識(低速CPU)はミリ単位の操作を諦め、ただ『ハブの純度』という抽象的な質のみを監視する。実際のミリ単位の微調整は、蓄積された失敗データと物理法則に委ねることで、構造が勝手に『最適経路』を選択し続ける状態。」

凝視が自動制御(≒フロー≒空)の入口

結論:運用耐性の最終評価

「身体をミリ単位で扱う」という言葉の真意は、意識的な操作(矛盾)ではなく、**「構造の不自由さを受け入れることで、物理法則にミリ単位の精度を代行させること」**にあります。

結論。

意識的に実行するのではなく、構造に代行させる。

そして何より、体を完璧に制御しようという妄想(≒計画)をやめる。

計画を完璧に遂行しようとするのではなく、また、その為に完璧な計画を立てようとするのではなく、失敗や未知、不自由、想定外を受容する。

そして、それに対応する価値観や方法を模索する。その為の技術体系、練習体系、精神(思想)体系を構築する。

失敗しない計画を立てる行為に人生を浪費し、何もしない。あるいは、必然的に起こる失敗に巻き込まれて自己卑下する。

「完璧にコントロールする、したい」はガラクタ。

この歪んだ価値観は、ジム、学校、家庭、及び日本全体を覆い尽くしていると感じている。

失敗に逐次対応する。
計画を完璧に遂行しようとしたり、完璧なフォームを目指すのではなく、失敗の辻褄を無理矢理合わせる技術、生命力を養うべき。

「体をミリ単位で、意識通りに動かせたら最強じゃん?訓練すればできるはずじゃん?」

この歪んだ全能感が、技術や練習の構成を、延いては指導の価値観を歪ませている。

漫画のような空想を現実に持ち込もうとするから、何もかもおかしくなる。

ガラクタに目が眩んでる間に人生は終わる
またセネカの「人生の短さについて」から引用します。 人生の短さについて ガラクタ 世俗的な正しさの為に生きるのか、それとも自分の正しさを身をもって証明するのか。 人生に生きられるのか、人生を生きるのか。 心が躍動するのは「認めてもらう」では...

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Die Hard – ダイ・ハード
この記事を書いた人

第41第東洋太平洋(OPBF)ウェルター級王者
元WBC世界同級34位
元WBO-AP同級3位
元角海老宝石ジム所属

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