ヘッドスリップとフットワーク

技術
ヘッドスリップとカウンターのやり方
パラエストラ天満長濱クラス

頭を突っ込まない

頭を突っ込むヘッドスリップを教える人もいますが、僕が思うに「頭が突っ込む」のは結果です。

相手のパンチを避けながらか、あるいは相手のパンチングレンジから隠れながら”前進”すると仮定した場合、例えばバランスを崩すとか、一時避難の為にベルトラインに潜り込むなどは、”結果的に”起こることだと考えられます。

従って、前提が変わるなら、例えば後退しながら避けると仮定するなら、アリやメイウェザーのようなヘッドスリップになると考えられます。

モハメド・アリの足運び
モハメド・アリのフットワークとディフェンス

「頭を突っ込む」ことと「ヘッドスリップの動作自体や考え方」は切り離して議論されるべきだが、現実はそうでないことが多いのは何故か。

それは実戦の環境下においては、それらは同時に起こる確率が高いからで、故に混同して考えられてしまったのだろう、と考えます。

推論の誤謬は非合理が非合理を引き寄せる負の自己強化を起こさせると考えられます。それはやればやるほど下手になる、ないしはすぐに天井が来る技術体系が獲得されてしまうと言い換えられます。

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一般的に言われている「ヘッドスリップ⇒頭を突っ込む」という技術観は、弱者の誤認だと思います。

マイク・タイソンのヘッドスリップ
マイク・タイソンの攻防一体大腰筋ボクシング
フリオセサールチャベスのインファイティング
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帰納と演繹と推論の妥当性
前回は「そういえば当たり前のように数学の証明の手続きを受け入れてしまっているけど、推論の確かさの定義ってどうなってんの」ってことで一通り調べて、一応の納得できました。 その時はそれで終わったのですが、ふと車の運転中に「『前提が全て真なら結論...

頭に脚を追従させる

正確には頭にではなく、心に脚を追従させます。

一般的に言われているような「脚(言葉≒理性)に体を追従させる」は「引っ張り打法」が導かれたであろう、また僕が経験した学校教育などが導かれた価値観であろうと考えています。

物事を始める時に「理性(≒思考≒言葉)」を先行させるような価値観は、遡るとデカルト辺りからなのかなと。デカルトの言う理性と現代で一般的に言われるそれには差があるようには感じますので、恐らくはどこかでデカルトの主張が変質したのかもしれません。

それは例えば、社会の秩序維持や富の移転の円滑化を目的とした礼儀の価値観が、いつのまにか奴隷製造装置として機能し、むしろ意図されたのと逆方向の「次世代→老人」の富の移転を導いてしまうようなことが理性にも起こったのだろうと。

恐らくは現代の礼儀正しさなどの価値観は、無能なクセに社会構造の上部に居座りその恩恵を受けようとする人が特権化させたものだと思います。だから嫌悪感が起こる。真のリーダーには誰も文句を言わん。

同じようなことがデカルトの言う「理性」にも怒ったのだろうと。
「我思う、故に我在り」と言える人が導く結論とは思えませんので。
あるいは、デカルトが生きていた時代の一般的な価値観が今以上に野蛮だったのだと思います。

閑話休題。
とにかく、よくよく考えてみれば言語や「思考」という概念のない時代からヒトは思考が行えたから、今があるはずで、また、その時代から生物学的には殆どヒトは進化していない事実を踏まえるなら、言葉による思考だけを「思考」と呼ぶのには違和感を覚えます。
※思考を言語で形式化することの価値は否定していない

つまり、ボクサーは細かく言葉で体を動かす必要はなく、むしろ上の論理を敷衍するなら、熟考する時間のないスポーツにおいては、また、ヒトの設計上は、言葉で考えて体を動かすことは非合理を包含していると解釈でき、であるなら、ボクサーは言葉を持たない原始人がそうしていたように、「何となく(心)で」で体を動かすべきだろうと言えます。

「頭で脚を動かす」は、パンチを避けよあとすれば脚は勝手に動く、及び、以上で主張してきたように、「脚で体を動かそす」は理に適っていない、を前提としています。

隠れるディフェンス
ボクシングとは 上のロマの記事で「ディフェンスは隠れる」と主張しました。 パンチを目視で回避することが生理的に不可能である事実と、僕が一流に感じる規則性から帰納的に考えるなら、恐らくは「"反射的に"危険な空間から隠れるのがディフェンスだろう...
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Die Hard – ダイ・ハード
この記事を書いた人

第41第東洋太平洋(OPBF)ウェルター級王者
元WBC世界同級34位
元WBO-AP同級3位
元角海老宝石ジム所属

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