人類を囚えるマトリックスと長濱式瞑想とフロー体験

よもやま話トレーニングメンタル

最近は試合に向けて瞑想を再開しているのでその話をさせてもらいます。

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長濱式瞑想

フローとオカルト

瞑想を再開した理由は角さんのオカルト番組にハマったからです。

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大半は眉唾物の与太話の類と感じるのですが、その中にちらほらフロー体験のことではないか?と感じる話題もあるんです。

シャーマンや霊媒師、占い師、予言者、超能力者の大半は偽物だと思っていますが、その中のほんの一握りは真の神秘体験、つまり主観への没頭状態(フロー)を体験したのではないか?と感じるわけです。

フローを霊能力や超能力と表現しているのではないかってことですね。
僕は微かにですが、人の真の知性(フロー)へアクセスできている自覚があって、それはニコラ・テスラやラマヌジャン、ニュートンら天才科学者やブッダ、イエス、ムハンマドといった数千年先の未来にすら影響力を残す人類史的指導者と深く結びついていた知性であると僕は感じてるんです。

僕はなんとか掴んだフロー体験を糸口に、上記の天才達が繋がれていた世界へアクセスしたいと考えています。

フロー体験

フローの時は夢の中か、もしくは寝入る直前の夢と現実の間にいる時のような、ぼーっとしている状態が似ていて、頭から客観が消え失せ、凄まじい速さでイメージのような、欲求(直感)のようなものが溢れ出してくるのを感じます。ただ、その状態の時はそうは感じておらず、そのフローから覚めた時に「あ、今フローだった」と気が付き、同時に夢から覚めたような奇妙な感覚を覚えます。あとフローから覚めた数分から数十分間は世界はシーンと静まり返ります。
これはおそらく認知的脱抑制と呼ばれる状態だと思います。

商業化された所謂瞑想の説明はフロー体験とは異なるものを説明しているような違和感を覚えるので、ネットで探せる範囲の瞑想の手順でフローの没頭状態に入れるのかは疑問が残ります。が、瞑想中に突然フローが起こることがあるのは確かです。

夢を見ている時に「夢を見ている」という認識がないように、瞑想中にフローに入ると客観的な「瞑想している」って認識が消え去ります。それは僕なりに表現すると、客観的な認識を押し流すほど強烈な直感の連鎖反応です。

何言ってんだと思うかもしれませんが、きっとみなさんも体験したことあるはずです。寝入る瞬間、夢中がまさにそうなっているので。

昼寝と散歩もフローを感じやすのでオススメします。

ただぼーっとするだけですけどね。

前置きが長くなってしまったのですが、今回は長濱式瞑想について少しお話します。
意識の長濱説が前提です。

瞑想の目的=主観と客観の分離

意識は主観(直感)と客観(言語)に分かれていて、瞑想の目的はその主観と客観の分離です。

客観の方が主張が強く言語的な分かりやすい形で頭の中に形成されるので、これを意識や知性の正体だと錯覚してしまいがちですが、実は頭の中にいて言語でペラペラと喋っている人格は真の意識でも知性でもありません。

それは論理的な思考のようでいて、実は無自覚に記憶した知識を同語反復的に繰り返しているだけです。

「(客観的に)これはこうあるべき」みたいな所謂常識をひたすら唱えています。フローの為にはこいつを主観から切り離さなければなりません。

主観と客観の分離を例え話で説明します。

家族の定義。
家族という社会通念は個人の集合としての社会が、その空気として自然発生的に定義しています。
しかし個々の家庭を隈なく見ていくと、それぞれに独自の定義があり、そのあり方は千差万別で「家族」の定義に決まった形はありません。

社会通念は個々の寄せ集めの集合意識により形成されているのですが、それを形成する個々に焦点を当ててみると、社会通念とは異なる定義を持っているのです。
矛盾するようですが、社会が無数の個人の相互作用の無限の組合せにより発生していると考えるとこの矛盾は解消できます。

社会全体が抱く「家族」という観念への合意は、そこに住む誰からも得られていない、というのが要点です。

これはアビリーンのパラドックスと呼ばれます。

ボクシングジムや職場、学級に流れる、誰が生み出したわけでもない、出どころ不明の空気(常識)、と言うと想像しやすいと思います。空気(暗黙のルール)はあるのだけど、誰もそれに納得はしていないってことありますよね。

会議において、本当は誰も納得していない結論が、参加者各々の忖度によって合意として振る舞ってしまう現象です。

主観的には「家族」にはありとあらゆる可能性があって良いはずなのに、社会に住む個人個人が社会に忖度した結果、誰も合意しない同調圧力が形成されます。
そしていつしか、その合意のようなものは本物の合意として振る舞い、それ以外は悪いものだと抑えつけるようになるのです。誰も納得していないのにですよ。

人類の性質から演繹される不毛な争いを生むマトリックスです。

誰も望まない世界大戦が歴史的に何度も起こった原因。

誰かが意図的に作り出した社会の空気ではなく、社会に存在する個人個人の、社会への依存心が作り出した幻想です。この幻想による同調圧力が悲劇を生みます。
合意を得ていないはずの同調圧力による虚構が争いを生み、個人と社会全体の可能性を封じ込めています。

主観と客観の分離とは、社会への依存心を自覚し、自らの力で証明した正しさと社会の空気によって植え付けられた正しさを分離することです。客観により押さえつけられた主観を開放し、マトリックスを抜け出すことを指します。

そのための手段の一つが瞑想です。

起こることをありのまま話すぜ

フロー瞑想の手順を話してしまうと、それに囚われてむしろ逆効果になってしまうので、起こることをありのまま話します。

まずは目を瞑りボーとします。始めは「ぼーっとしなきゃ」って言葉が支配的ですが、少しづつそれが薄れていきます。

雑念を払おうと考えるのではなく、頭の中に浮かんでくる内容ひたすらを眺めます。ただそれを掴まえてゴチャゴチャ言ってはいけません。手放してそれがどこへ行くのかながめます。
そうしている内にある瞬間から一気に客観が失われて、主観の発想が激流のように止めどなく溢れてきます。この直感の連鎖反応が一気に抱えている問題の結論を導きます。

「フローに入った」と認識した途端に客観が目覚めてフローは止まり、頭の中の映像は消えてしまいます。この瞬間は夢から覚めたような感覚になっています。

何を見ていたのかはあまり覚えていませんが、心の中に強烈に残る映像のようなものを感じます。

あとはそれを実践するだけ。

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瞑想のやり方

脳の仕組み

超簡単です。

Die Hard – ダイ・ハード
この記事を書いた人

第41第東洋太平洋(OPBF)ウェルター級王者
元WBC世界同級34位
元WBO-AP同級3位
元角海老宝石ジム所属

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