論理的妥当性の再帰的な構造

股関節おじさんの勉強部屋

ここまででようやく数学の始まりがぼんやりと見えてきました。
出発は人の認識。その認識を一般化した演算規則によって公理の構造を変形させ、普遍的な法則(理論)を見つけていく。それがのちに意味を帯びてきて現実への応用される。

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数学の議論の再帰的な構造

論理包含の再帰的な構造

前提が真なら結論が真となる推論(演繹)のみが論理的に正しいと認められ、推論の妥当性と呼ばれます。
推論の手続きそのものが論理包含になるように要請しています。

a→bという形を積み重ねることが論理的に妥当な推論で、その推論を収める議論の枠そのものもa→bという論理包含になっています。つまり推論は再帰的な構造になっているわけです。

論理学が推論にこのような再帰的な構造を要求しているのは、推論の妥当性という行為そのものを論理学的空間へ取り込むことで、その確からしさをその内部だけで完結させようというとしているのだと思います。

人は絶対的かつ普遍的な事実を知りません。でも観測と照らし合わせて、人の認識が確からしそうなことは知っていて、かつそれ以外に現実世界の認識方法を知りません。人の認識が正しいかどうかは知る術がないし、間違えていたらその都度修整すればいいという前提の元、とりあえず話を進めるために確からしそうな人の認識を頼ることとしたのだと思います。

その確からしそうな認識の規則である論理包含の再帰的な構造に、推論の議論全体を落とし込めば、それは確からしいだろうってことで、推論規則も論理包含の規則に限定されているのでしょう。違うかもしれませんが、現時点ではそう解釈して前へ進めます。

絶対普遍なことは人は知りませんから、不確かなことをできるだけ減らして、最低でも確からしいことだけで真理に近づきたい、という思いが根底にあり、だからこそ推論の構造を再帰的にすることを要求している。

認識の規則が論理包含なら、議論そのものもそれに当てはめることで、確からしさの議論はその内部だけで完結させられます。

数学の証明(演繹)は”論理的”には正しいと言えます。が、それはあくまでも人の考えた世界においてです。

論理的、数学的宇宙空間では当然正しいし、今のところは現実の物理世界との齟齬は生じていないから、現時点では運用されているってことだと思います。

そもそも数学は現実との折り合いなんてつける気はなさそうですが。

ひとまずはこの解釈で証明の正しさとは何かについは終わります。

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Die Hard – ダイ・ハード
この記事を書いた人

第41第東洋太平洋(OPBF)ウェルター級王者
元WBC世界同級34位
元WBO-AP同級3位
元角海老宝石ジム所属

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