危機感は価値の判断を促してくれます。
危機感が足りない
スパーリング大会に出場する予定のボクサーを仮定します。彼はこれが初出場のサラリーマンです。
彼は強い危機感を感じています。仕事が終わると、本当に必要だと感じる飲み会の誘い以外は断り、ジムへ直行します。
練習後は早く休まなければなりません。次の日の練習に支障が出ます。髪型など、一々の細かい見た目にこだわっている暇はなく、どんどん省略されていきます。
スパーリング大会の危機感が彼の器へ乗せられたことで、人付き合いや身だしなみといった、彼にとって重要度の低いものから順に、器からこぼれ落ちていきました。
本当に大切なものだけが残された、とも言えます。
それは恋人や信頼する上司との付き合い、親との関係かもしれません。とにかく、彼が真に大切にしたいと感じるものだけが残され、他は捨てられました。
彼はスパーリング大会の後で、それまでの過程を振り返り、危機感の中でこぼれ落ちた物と彼が守り抜いた物を見比べました。そしてこう感じるのでした。
「くだらないことに何もかもを浪費していた。時間も金も心も。もっと大切だと感じられることの為に、それらは費そう。」と。
危機感が価値の評価を促し、くだらないことをくだらないのだと判断させてくれます。
危機感のない堕落した社会(人)はガラクタで溢れかえり、その重さで自壊していきます。
もしも、誰も危機感を持たなくなれば、世の中はガラクタで溢れます。
そのガラクタの山は本当に価値のあるものを隠してしまいます。
こぼれ落ちてく物に執着しない
なりふり構わず、夢やアイドルや仕事など、何かを追いかけようとすると、器からこぼれ落ちてくものが必ずあります。
世間体や金、人がその典型です。大人になるまで、大切だ大切だ、と言い聞かせられてきたものばかり。
そして、それらはスピードを上げれば上げる程、猛烈に振り落とされていきます。
必死に掴まえようとしても無駄な努力に終わります。だから、こぼれ落ちてくものには執着せず、あえて手放せばいいんです。
それはそうなるべくしてそうなっているのだと、”今のあなた”からは必然的にこぼれ落ちてしまったのだと、こう自分へ言い聞かせて前へ進むのです。
代わりに何か、本当に必要なものが引き寄せられてきてきます。また、一旦はこぼれ落ちたとしも、あなたにとって本当に必要なものなら、再び必要になったタイミングで戻ってきます。
孤独に歩め、悪をなさず、求めるところは少なく、林の中の象のように
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