走りながら閃きました。「限界を超えよう」とするから辛いのだと。限「界を超える」のはあくまでも結果であり、目的ではないのだと。
「限界を超えろ」は方便
結末と始り
終わることのない、無限に続く階段の終点まで眺めようとするから気が遠くなるのです。刮目すべきは眼前の一段のみ。一歩一歩を着実に登り、一休みして顔を上げた時に見える景色こそがその時の限界の景色なのです。
「限界を超える」とは結末であり、始まりではありません。限界を超え”る”ではなく、超え”た”が正しいのです。
限界を超える為のマインド
10km、40分以内に走ってこいと言われ、それを想像すると気が遠くなります。
距離を短くして5km、20分なら?2.5kmを10分なら?1.25kmを5分なら?
もしも、一歩一歩の反発を最大化することのみに集中できたら?
気がつけば目標は達成されているのではないでしょうか。
平均の2倍売ってこいと言われると気が遠くなります。
しかし、期間を短くして、平均の2倍売る営業マンを一日だけ演じるなら?さらに小さく区切って2倍売る営業マンの10分を演じるだけなら?今、一流の営業マンを演じるだけなら?
世界一の会社を創ると考えると気が遠くなる。
しかし今日会社を登記して、株式会社を設立するだけでいいと考えたら?世界一の会社を創る男が今やりそうなことを今やればいいと考えたら?
それだけならやれる気がします。
理想から逆算した今に集中する
10年後にどうなりたいのか、その為には5年後どうあるべきか。その理想の5年後の為に1年後はどうならなければならない?その一年後を引き寄せる一ヶ月後の姿は?その一ヶ月後の為にこの一週間で達成すべきことは?今日はどう振る舞えばいい?今は?
理想の未来から逆算し、今できることにまでスケールを小さくしていく。
「限界を超える」は結末であって、始まりにはなり得ません。「限界を超える」という結末は今に尽力することで引き寄せられてくる結果だから。
最高タイムを実現する態度は無闇に暴れ無駄に体力を消耗することではなく、一歩一歩丁寧に地面を踏むこと。
がむしゃらにバッグ打ちをしてのただ疲れるのではなく、一発一発、一秒一秒に集中し、結果的に限界に到達する。
スパーリングや試合なら全部勝とうとしなくていい。その瞬間だけ、一度だけ勝てばいい。その連続が結果を引き寄せる。
この発想は心の負担を軽くし、今に没頭することを助けます。
限界を超える→越えられない
今に集中する→限界を超えていた
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