世は世紀末。
– 悪党ですら自分を語らなくなった時代 –
俺は「俺が何者なのか」を語る
世界は行動の反射により作られる
僕の住む世界は僕の行動の反射により形成されます。
他人を非難すれば、僕を非難する人で世界は溢れ、他人の行動を偉そうに語れば語るだけ、僕の世界は他人で埋め尽くされていきます。そうやって他人で溢れた世界は窮屈過ぎて、息が詰まります。
僕は今他人を非難することを非難しています。
僕は僕の一貫性を守るために他人を非難しないことを守らなければなりません。他人を非難する選択肢が絶たれ、世界が小さくなりました。
最近はこの手のyoutuberが増えましたし、SNSには匿名で他人の言動を裁く私刑団がいます。他人の言動を批評すると自己正当化できる気がして気持ちはいいものですが、それを繰り返す内にその人の行動の選択肢は失われ、世界は小さくなっていきます。長期的な視点に立った時に自分で自分の首を締めるような、非合理的な行動であると気がつくはずです。死ぬまで気が付かず狭い世界を生きるのかもしれんが。
多人の言動を批評することに時間を費やすのではなく「自分が何者で、何をしているのか」を語ることが長期的には可能性を広げ、人生に豊かにしてくれるはずです。
ストーカー社会
自分の価値観を絶対不変のものと錯覚し他者の言動を独善的に非難することで自分を間接的に肯定する。
そんな風に手に入れた安い安心は長続きしません。不安を紛らわせた途端に飢餓感に襲われ、次の獲物を探して徘徊する羽目になります。
自らの信念を貫き生きることによってのみ本当の安心が得られます。ささやかでも自分の理想、信念を実現するためにこそ、人は生きるべきと僕は思います。他人に構って安い安心を買っている暇はありません。
自分の理想とする姿と社会が向かおうとする姿に乖離がある場合、その時に初めて行動を起こせばいい。戦えばいい。
理想とする世界も、それを実現しようとする気概もなく、ただ「むかつく」とか「気に食わない」なんて子供染みたルサンチマンで他人を非難すれば、その瞬間に住む世界は小さくなります。
他所は他所、うちはうち。他人の言動にグチグチ文句をいうのはストーカーって言います。
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