敵とは困難とは何か。
この局面に達することができることがニーチェの言う「小児」でありブッダの言う「悟り」。
人生は自らの真の姿を探す旅
インナーゲームは最終的には敵に勝つことを放棄し、執着を捨てろと説きます。仏教と同じ結論に達するのがまた面白い。
インナーゲームの目的は理性と本能の調和。本当の自分、ありのままの自分へ出会うための過程であると定義するから。そうであるなら敵や困難はあなたの真の姿を引き出してくれる味方なんです。
いつか人は負けます。若さも栄光も、全てが失われます。だとするならそれら執着しても仕方ありません。
以下はガルウェイのインナーゲームを僕がさらに抽象化した長濱説です。なのでインナーゲームとは少し異なるような気がするかもしれませんが、同じことを言っているつもりです。
インナーゲームの定義
結局のところ人の人生は自らとの対話のために用意されていると捉えることです。そうすればあなたの世界から敵や困難は消え失せます。
敵や困難はあなたがそう感じているだけ。
本来は自分自身とのより深い対話のために神が用意してくれた贈り物です。困難に際して自分自身との対話が上手くいったのならセルフ1(理性)とセルフ2(本能)はより深く調和し、全能感、幸福感はより高い次元へ引き上げられます。
仮にその場での勝利の機会を逃したとしても、またすぐに次の機会があなたの調和した魂(オープンマインド)に引き寄せられてやってきます。大切なのはその困難から逃げようとせず、自分自身のありのままの姿に選択を委ねようと努めること。
決して神秘的な力が引き寄せるのではありません。魂が調和したオープンマインドが論理的に可能性を引き寄せてきます。
僕達が恐れるのは損失です。
勝負や人生を本当の自分と出会う旅なのだと感じられたら、つまり論理的に無理やり理性を納得させるのではなく、本能でそう感じることができたなら、損失という概念は僕達の世界から消え去ります。
同時に精神的な重圧から解放された心が勝利と機会を引き寄せてきます。
心(セルフ1とセルフ2)の調和した状態を目指す生き方ががインナーゲームであり、仏教であり、超人、貴族なのだと僕は解釈しました。
もしもあなたがセルフ1(顕在意識)とセルフ2(潜在意識)の調和した感覚を経験をしたことがないのなら、きっとあなたの頭の中では”理性的で常識にこだわるセルフ1”の大声が鳴り響いているはず。「こいつの言葉は嘘だ、信じられない」と。
僕にもその経験があります。20代は興味本位で読んだブッダやニーチェの言っている意味が分かりませんでしたし、マトリックスの真意にも気が付きませんでした。30歳を境にようやく世界観が変わってきたのです。
もしもあなたが過去の僕と同じであるならジムで職場で学校で、本能の欲求を感じ理性により行動してみてください。
「超人」「貴族」「悟り」「フロー」「ありのまま」「アイデンティティー」。過去の賢人の作り出した言葉の文脈が理解できるはずです。
※「自分の敵は敵」という、自らの欲求を抑圧するような低次元の話ではなく、敵や困難、欠点すらも愛するという、もっともっと崇高な理念の話です。
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