「フロー」「超人」「貴族」「悟り」「自我同一性」「インナーゲーム」長濱説なら「完全な主観」。
僕の中で点在してた概念がネットワークを形成し始めました。
全て同じことを言っていいます。
セルフ2(本能)の力を妨害するセルフ1(理性)
ガルウェイもブッダもニーチェもオルテガも。
「理性(常識的な欲求)」の声ではなく、「本能(真の欲求)」の声を聞けと言っています。
自分(理性)で自分(本能)を評価しない
ガルウェイの言うセルフ1は理性、セルフ2は本能です。
また理性は顕在意識、本能とは潜在意識と俗に言われています。僕の言葉で言えば「完全な主観」がセルフ2で「観察者」がセルフ1。セルフ2はOSでセルフ1はアプリケーション。
観察者は理性的で様々な常識を元に僕の動作、行動を傍からグダグダと評価しています。口うるさく存在感はありますが、彼は肉体の主人ではありません。あくまでも観察者、アプリケーションです。この観察者に「君はあくまでもわき役なのだ」ときっぱりと言ってやるのです。主従関係をはっきりさせ、理性を肉体の真の主人(欲求)に従わせることが勝利のカギとなります。
「理性により自らを評価する」これが様々な不幸の始まりです。
きっと観察者はあなたの心の中で「こいつの言うことはおかしい、私こそが主人だ!」と言っていることだと思います。
でも思い出してください。「こうこうこうだから上手くいかない」、そうやって自分の行動を評価した経験を。やってみたかったこと、挑戦できたことは沢山あったはずなのに。理性の意見に耳を傾けた結果、諦めてしまった経験はありませんでしたか。評価好き、おしゃべり好きの理性に主導権を握らせてしまうことから不幸が始まります。
「常識的にこうだ」「父親としてこうあらねばならない」「娘にとってはこれが幸せなんだ」「人はこうあるのが幸せなんだ」。
理性的な観察者は事あるごとにこう言って、常識的にできない理由を探しだしてきます。本当にクリエイティブな発想で無限にやらない理由を探しだしてきてくれます。それも驚くほど迅速に。
でも、本能の欲求に主導権を明け渡すことができた時、もっとすごいことが起こります。常識に囚われない最高にクリエイティブな方法を、これでもかと提示してくれるんです。
ボクシングでもそう。
「パンチの大振りはダメだ」「ディフェンスは最小限だ」…など。本当にそうでしょうか。
論理的に誰もを納得させられる説明ができるでしょうか。大半、もしかするとその全てがどこかや誰か、または自分自身で植え付けた固定観念です。
観察者の理性を疑い、本能の声に傾聴することができたら「やっていい理由」が無限に湧いてでてくることに気が付くはずです。
観察者の理性的な声があなたの本来の欲求をかき消してしまいます。注意深く心の奥底から聞こえてくる声を聞いてください。生半可な気持ちでは辿り着けません。理性の発した嘘の声である可能性があります。
心の中で「そんなんじゃダメだ」とあなたを評価する声が聞こえたら「一つ考慮に入れておくよ、だけど今は静かに見ていてくれないか」と言ってやるのです。僕達が傾聴すべきなのは「こうしたい」という本能の欲求です。
LET と MAKE
ガルウェイ流の言い方で本能の声は”LET”、観察者の声は”MAKE”に分類できます。
”LET IT BE(あるがままのフロー)”を肯定してください。悟りに到達した賢人たちがその言葉へ辿り着いた文脈が理解できるはず。
欲求の声に従うことこそが「フロー」です。強迫観念を捨て、あるがままの姿を肯定すること。欲求のフロー(流れ)を信じて行動すること。大天才ガルウェイ、ブッダ、ニーチェはそれが正しいと言っています。僕は遂にそのポテンシャルを実感しています。
肉体(本能)の持つポテンシャルを縛るのは「こうあるべきだ」という観察者の理性です。彼の意見は参考程度に、肉体の欲求に耳を傾けてください。
どこかの誰かが作り上げた社会の常識を信じてもあなたは得をしません。得をするのはそれを作り上げた人達。
失敗した時の言い訳には使えるかもしれませんけどね。
欲求の声に従ってあなたの理想を目指してください。それが超人であり貴族であり悟り、フローへの入り口なのです。失敗も困難も自分のものだと引き受ける覚悟を決めるんです。
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