信念の正当化
ガードはディフェンス
何故ならば、相手が打てる場所を隠すから。
ガードはディフェンスを損なう
何故ならば、反射や動作の自由度を制限するから。
※「攻撃は最大の防御」的解釈
移民は社会に悪影響
何故ならば、移民は同化しないなら。
移民は成長の源
何故ならば、超大国古代ローマ米国の成立がそう言うから。
格差は善
何故ならば、劣等感が何苦楚根性を養い、それが文明を推進するエネルギーになるから。古代ローマの解放奴隷の活躍やアメリカの格差社会を見ろ。

格差は悪
何故ならば、無意味な争いを生み、経済的に文明を停滞させるから。古代ローマや今のアメリカを見ろ。
好きに(恣意的に)解釈できる。
つまり、自己正当化の為の解釈を選べる。
「俺はガードを上げる努力を惜しまなかった。だからガードを下げているボクサーが許せない。自分が否定されていると感じるから。メイウェザー?ハメド?ウィテカー?知らん」
「俺はガードを下げてパンチを躱す努力を惜しまなかった。だからガードを上げているボクサーが許せない。自分が否定されていると感じるから。ロナルド・ライト?ビボル?ベナビデス?知らん」
「欧米の問題を見ろ。移民が母国人の仕事を奪っている。え?アメリカの雇用を生み出し、外貨を稼いでいるのはほとんどが移民の子孫?現大統領が移民の子孫?知らん」
「日本の惨状を見ろ。閉鎖的で固定化した価値観。空気を読んで現実から目を背ける悪習。非論理的な言語に文化。え?欧米の移民問題?日本語独自の論理的展開方法?知らん」
以上は多面的な解釈が可能な概念や現象を、自分の信念に沿うように解釈しているだけ。
無自覚に、信念の反対にある「可能性」を排除している。
可能性≒手札
オフガードスタイルや移民の感情的な否定は、それが持つ可能性を失わせる。
きちんと損得計算をしているなら良いが、大半は恣意的な解釈による感情の垂れ流し。
信念を固定化≒自分で手札を捨てる≒バカ
文明人「AはBであると同時にCでもある。Bを抑えてCを達成したい。
矛盾を生じさせているのは現状の制度のどの変数か?そうだ!Dという新たな枠組みならば矛盾を最小化できるぞ!現実から要求されているのは、変化に適応可能な柔軟な信念だ!」
移民問題で言えば、日本の言語や文化の性質が特定の文化圏との摩擦を起こしやすくしている可能性を、それがせっかく日本を選んでくれた彼らを孤立させてしまっている可能性を考えない(≒バカ)。
全てを移民の責任にする。
元いた学校と転校先の学校の価値観の差が、転校先の学校で転校生を孤立させてしまう問題と構造的には同じ。すなわち、日本人にも起こり得る問題。(ヤンキー校⇄進学校)
先生(リーダー)の仕事は、価値観の違いが問題を導く構造を学級の全員に啓蒙すること。
仮に、社会から見放されて孤立したら日本人でも「無敵の人」になる。
移民問題の原因は抽象的にはアメリカで頻発する高校生銃乱射と同じ。
秋葉原無差別殺人や大阪小学生無差別殺人、介護施設大量殺人と構造は変わらない。
つまり、移民が悪いのではなく、普通の人を「無敵の人」化させてしまう制度的、文化的な枠組みに問題があると解釈できる。
少なくともそう解釈したほうが、つまり、少数派や弱者や負け犬を排除しない社会制度、価値観へ設計し直す方が僕はやる気になれる。安心できる。挑戦に積極的になれる。
事故、病気などなど。明日は自分が弱者。
移民(少数派)が安心して暮らせる包摂的な社会システムを構築する必要がある。
そのシステムは社会から孤立した日本人(≒無敵の人)も包摂する。
延いてはそれが無敵の人から身を守ることに繋がる。よし、移民問題を機に社会システムを刷新しよう!
真のリーダー「移民への責任転嫁は止めよう。痛みは伴うが、長い目で見れば移民(弱者)ファーストは、日本人の全てを包摂するシステムのあしがかりになる。つまり、日本人ファーストになる。
綺麗事の夢物語かもしれない。でも、それを目指そう。明日は我が身でしょ?事実を基に導かれた一つの仮説も提示しとくね」
幼稚園じゃないんだから。リーダーが子供でも考えられることを言ってたらね。
幼稚園児には見えない視点を提供してやる気にさせるのが先生(≒リーダー)じゃないの。言葉尻の強さ(修辞法)で大衆(園児)をコントロールするのはポピュリスト。軽蔑すべき存在。それに熱狂してる幼児には寒気がする。

既存の枠組みで藻掻いてんのは原始人。
原始人「雨乞いが足らない!卑弥呼様ぁ!」
無知の知、ダニングクルーガー効果、防衛機制、認知的不協和…
排他的(固定的)な枠組みを構築してしまったら、
生活の改善<その枠組みを守る
が正当化される社会になる。本末転倒。
基礎基本の為の基礎基本。礼儀の為の礼儀。封建社会、中世ヨーロッパのキリスト教支配、仕事の為の仕事(ブルシットジョブ)。

不寛容な社会
A「こうあるべき(本当はこうなりたい)」B「こうあるべき(本当はこうなりたい)」C「こうあるべき(本当はこうなりたい)」
みんながみんなに忖度した結果、誰も望まない「こうあるべき」社会が完成。
誰一人として望まないことが集合意識により決定されてしまうアビリーンのパラドックス。
結論。恣意的な解釈(≒信念の固定化)が自分を苦しめる(≒自縄自縛)。
「こうかもしれない。いや、こうかも。もしかしたらこうかも」が自然から要求される態度。
態度≒信念≒世界観≒価値観。
因果応報
「願い事(≒信念)には気をつけろ」は、「他人の不幸を願うな」という寓話的な話だけではなく、より抽象的な論理的構造の話と解釈できる。
トランプ当選前
トランプ支持者「ディープステートと外国人を追い出せ!(誰か助けて)」
トランプ当選後
トランプ支持者「安い労働力(≒外国人)の消失と関税に伴うインフレ。社会保障予算の削減による医療費の増大。生活費が賄えません。生活苦しい。後悔してます」
※官僚構造≒ディープステート
ディープステートの除去⇒官僚組織予算の削減⇒社会保障費削減
以下妄想。
トランプ大統領(の取り巻き※)は、中国との経済的な対決に備えて軍事力と技術力を蓄えたい。
※取り巻き≒シンクタンク及びロビースト、企業家。
経済的に困窮し、米社会への憎悪を蓄積させた層は「打倒ディープステート」を掲げるトランプに熱狂。
ディープステート≒固定化(≒腐敗)した官僚組織
打倒ディープステート≒固定化した組織の改革≒国家予算削減≒社会保障(メディケイド※)費削減
※低所得者層向け医療扶助制度
結果的に社会から取り残されて助け(メディケイド)が必要だったはずのトランプ支持者が最もダメージを受ける。
「地獄への道は善意で舗装されている」「願い事には気をつけろ」「因果応報」などは、この論理的な構造への警鐘。

認知的不協和とは、自分の中に矛盾する「考え」と「行動」が共存したときに生じる不快感やストレスのことです。この不快感を解消するために、人は無意識のうちにどちらかの「考え」を都合の良いように変えたり、行動を正当化したりします。
確証バイアスとは、自分の信じていることや仮説を支持する情報に注目し、それに反する情報を軽視・無視してしまう認知バイアスです。
アビリーンのパラドックスとは、**「集団のメンバーが本当は望んでいない決定を、個人の嗜好とは異なってしてしまう集団心理」**を指します。これは、コミュニケーション不足や気遣
引用AI


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