飛び込むのが恐い
「恐怖」や「不安」などの問題の原因を技術的な構造にまで落とし込むことができれば、具体的にそれにアプローチできます。
「恐いけど我慢」は根性論。嫌なことは続けられません。
すなわち、このまじないを唱え付けるなら、あなたはボクシングを止めます。
自分を守ろうとする防衛機制がボクシングを嫌いにさせます。
「俺(ワタシ)はボクシングが嫌い。だからやらない。」
本当は上手くならない自分が嫌いなだけなのだけど、それを認めると心が壊れてしまう。だから、自分以外に原因を求める。
努力しない自分が悪いだけなのだけど、それを認められずに他人や国、親を攻撃してしまう。上手くいかない責任を他人へ押し付けてしまう。
同じことがボクシングにも起こります。
本当は「上手くいかない理由」を考えない自分が悪いのだけど、それを認めると努力しなければならない。でも努力(≒コスト)はしたくない。自己正当化の為には自分以外に責任を転嫁する必要がある。



例えば、踏み込むのが恐い原因はあなたが臆病であることではなく、「顔面が相手に近いこと」かもしれません。
だとすれば、上のタイソンやGGG、ハメドのような打法に修正することで、「恐怖」や「不安」を軽減させられるかもしれません。


嫌がる
彼らに頭を相手のパンチングレンジから遠ざけさせているのは、「危険な空間は避けたい」という感情だと考えられます。


それは「前重心」「後ろ重心」といった「こうあるべき」よりも「自分がどう感じるか」を優先すること。
それは「フックとはこう」「踏み込みとはこう」という思い込みを捨てて、心と体の流れに従うこと。


飛び込み動作
股関節で床を押して飛び込みます。
この場合は「動作」をイメージしてはいけません。体はイメージで動きます。
腰を回してパンチを打とうとするとギクシャクしてパンチの勢いが出せなくなるのと同様のことが起こります。
床を滑るようなイメージで踏み込めば自然に股関節を動かせます。
この場合は正面にいる相手はあなたの踏み込みの予備動作が認知をしづらくなります(≒見えない)。




コメント