脚は腕に追従します。つまり、踏み込みは自動制御されるので意識しません。
日常動作を思い出してください。
あなたは体から少し離れた位置にある物へ手を伸ばしています。あなたは脚の動きを意識しないはずです。脚は勝手に動いて適切な距離の調節を行ってくれます。
投擲を思い出してください。強く物を投げる場合は足を前への大きく踏み出しますが、そのことは意識しないはずです。
同じように、相手を殴ろうとした場合も脚は腕に、というか気持ちに追従して勝手に動きます。仮に距離が遠く、腕が相手に届かないのなら、脚の動作は全自動で完璧に調節されます。だから踏み込みの動作を一々意識する必要はありません。
基本的に腕(感情)に脚(身体)は自動で追従してきます。
踏み込みから、すなわち脚から動きを作ると全体としてはチグハグになります。
ライオンに襲われていると想像してください。無我夢中のフロー状態では気持ちに体は追従してきます。
ライオンから逃げることだけに没頭したあなたの脳は、瞬時に生存確率が最高となる逃走経路を導き出します
視界に木が映れば、その形状を正確に推測し、あなたとライオンがそれによじ登れる確率と、その選択を行った時の生存確率を計算します。
地面に鋭利な物が落ちていれば、その形状とあなたとライオンの体力の比較を瞬時に行い、戦った場合の生存確率を予測します。
その他にも、大声でライオンを威嚇し周囲の仲間が助けに駆けつけるまでの時間も瞬時に計算します。
本能は様々な選択肢の中からあなたが最も生存する確率が高い手段を導き出します。
僕がフローと呼び、所謂潜在意識や直感などと呼ばれるものです。
没頭状態を引き出せれば、本能は勝手に最善の手段を選択します。脚がついてこない場合は骨格(姿勢)や没頭度に問題があると考えられます。
以上を前提として以下は読み進めてください。
ナイフを持つようにして構え、拳を投げつけます。ナイフで刺すようなイメージでも上のパンチの打ち方を再現できる確率は高くなります。
既述したように、細かい動きを意識するとチグハグになります。なので、「殴る」「刺す」「投げる」を漠然と、そしてそれを強く起こすことをイメージてください。
上達が遅いと感じる方は下記を参考にしてみてください。
意識の話
右脳と左脳を持つ脳の構造に由来しているのだと僕は推理していますが、脳内は二つの意識の主導権争いが常に起こっています。所謂欲求と理性、主観と客観です。
二つの意識がぶつかるからこそ、人は合理を導けます。なので二つはバランスが取れている必要があります。主観が強すぎても客観が強すぎても思考は止まります。これが所謂思考停止。
二つの内の一つはあなたの頭の中で言語によりあなたを実況し、何かを必死に説明しくれます。客観(顕在意識)です。
存在感があるので、こいつが意識の主体だと錯覚してしまいます。が、実はこいつはあなたの主体に相乗りしているだけです。
もう一人は言語を持ちません。欲求として何かを感じるだけで基本的にはとても静かな奴です。
言語を覚えるまでの子供は主観が優勢で、凄まじい速さで学習を起こします。言語に支配された大人は成長が止まります。
今回は言語でペラペラうるさくしゃべる意識について話します。
そいつはあなたがそれまでに集めた常識を頭の中に反響させています。
それが正しいことの論理的な説明はできません。なので、それに従うと身体と思考は動かなくなります。
二つの意識の調和が崩れて客観に支配さてしまうと、人は「こうすべき」としか言わなくなります。例えば基礎基本原理主義者。彼らはそれがそうである理屈やあなたがそうすべき理由を説明しませんし、恐らくはできません。
例えば、ガードを挙げなければならない理由。それは教科書的に説明されます。
しかし、単に常識を反響させているだけなので、それと矛盾するメイウェザーやウィテカーなどの存在は説明できませんし、しようとも試みません。
大ぶりのフォアマンやタイソンも説明しません。
彼らは頭の中で反響している念仏と整合しない例外は全て、 「天才」という、これまた彼らには説明できない概念によって処理してしまいます。
長い間そうしていたからなのか、彼ら自身の意思や思考は失われています。空洞化した肉体を常識がカラカラと反響しています。
何故そうしなければならないのかは知らないままに、頭の中に反響している誰かの言葉に基づいたマトリックスをせっせと構築します。
頭の中を反響する声に振り回されて寄り道ばかりになっていないかを確認してみてください。もう一人の自分に「それは何故だ」と聞いてみてください。
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