健康である幸せ
世の中には想像を絶する困難を体験している人がいます。しかも、それはその人の行為の因果とは無関係に降り掛かったものです。
健康で、自分の意思に従い生きられるだけが、どれほど恵まれたことなのかを僕ら健常者に彼らは身を持って教えてくれています。彼らの困難と比較すれば、僕らが途方にくれるようなそれは、ただの贅沢です。不満を垂れる暇で何か一つでも仕事をこなすべきなのだと痛感させられます。今の自分にやれることすら探さず、才能や環境を含めた境遇に不満を言うのは、甘え以外の何でありません。
才能がないと感じるなら、その中でどう振る舞うのかを考えるべきです。悲観する暇はありません。時間の無駄です。
僕らには彼らより遥かに多くの選択肢が神によって与えられ、またそれを自らの意思で選択することも許されています。
与えられた手札に文句を言うようでは神から見放されます。アレがないコレがないと嘆く前に、今持っているものをどう使うのかを必死に考えなければなりません。
日本が嫌なら外国へ移住するこができます。仕事が嫌なら辞めて納得のいく生き方をすることもできます。逃げるのも立ち向かうのも自らの意思の元で自由に選べます。
親や才能、環境など。誰かや何かに自分の責任を押しつけて、人生をつまらないものにしているのは自分自身なのだと、彼らの生き方は教えてくれます。
彼らにとっての些事で、僕らはクヨクヨダラダラと悩んでいます。
「無いものは無い」現実を受け入れること
在るものを大切にする生き方 「真っ暗だ。何も見えない。」 長い動画ではないので、一度見てください。 彼女と同程度の困難を、彼女のような自然さで受け入れられる大人がどれ程いるでしょうか。 僕は28歳の時に目の怪我をしました。視神経二本が麻痺し...
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