ボクシングに限らず、何事もそう。
不安だからで始めたら搾取の対象となります。
不安だから、は泥沼
不幸の入口
攻めていない時間が不安。
ポイントって実務的な点だったり、何かしていないとって心理的な自己喪失だったり、攻めないとコーナーから怒られるからだったり。
泥沼の入口。そこから先に足を踏み入れると恐怖に飲み込まれます。
何度も例え話で挙げていますが、人は安全確認をせずにアクセルは踏めません。不安や恐怖は未来の大部分が予測不能な範囲に収まっていることの認識です。
未来を予測できないから恐くなります。青信号で車が交差点に入ってこないことを確認でたなら、未来は予測可能な範囲に収まるので恐くはありませんよね。
もし不安なままアクセルを踏んだら?
パニックを起こして平常心を失ってしまえば、普段は有り得ないミスを起こします。歩行者の侵入に気が付かなかったり、交差点に進入してくる車に気が付かなかったり。
パニックの時はミスが連鎖します。
ブレーキとアクセルを踏み間違え、さらに事故の被害を拡大させてしまったって実例には枚挙にいとまがないほど。
不安だから、で始めると失敗が失敗を呼ぶ負のフィードバックループが起こります。
安全確認の徹底
不幸な事故の起点は不安に飲み込まれて安全確認を怠ったから。
ボクシングにも同じことが言えます。安全確認を怠りパニックのまま突進、からの大事故。
不安だから攻めるは泥沼です。
四回戦六回戦で多い。
不安だから手を出す。そして大事故。事故が起こらなかったとしても試合の後半はガス欠。からのグダグダの打ち合い。
まずは守って相手を観察。
そうやって観察できていれば相手の急所が見えてきます。
守りながら相手のパンチが読めてくると不安も薄れていき、伸び伸びと動くことができるようになります。
伸び伸びやるとパンチのキレと伸びは増しますから、相手は対応が遅れ次の手が打てなくなります。
そうなるともっと不安は解消されにさらにキレと伸びが増す。
守りと安全確認から正のフィードバックループがスタートすることは容易に想像できるはず。
アクセルが踏めないのはあなたがビビりだからではありません。アクセルを踏める条件が揃っていないだけです。
同様に、攻めるのが恐いのはビビりだからではありません。
ディフェンス、安全確認、距離などの条件が整っていないだけです。
もし恐くて攻められないならバッグ打ちの時間が長いのかも。守りの比重を高めてに取り組んでみるのも手。
ボクシングに限らず何故?を考えないと無自覚に自分で自分を責める循環に突入し、最終的には自己喪失が起こります。
不安を支配し我道を行く
不安だからって投資に手を出そうとすると詐欺師の餌に。不安だからって恋人を作ると自立できてない人に依存され時間と金を搾取される。不安だからで就職するとブラック企業に搾取される。不安だからで作った友達と一緒に堕落。
やらねば気が済まないと感じる主観の欲求ではなく、「こうあらねばならない」という客観の要求に応えてしまうと不幸が引き寄せられてきます。
免罪符と同じ搾取の構造になっていらから。人の心が作り出す、社会の秩序を守るための遺伝子に由来した構造なのだと思います。
不安だからはベータの入口です。アルファらしく、不安を支配し、他者に迎合せず我道を突き進みましょう。
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