僕が発信している内容はあくまでも従、下僕です。
「ニ軸が…」「手打ちが…」「股関節が…」「肩甲骨が…」など。僕の考え方に従わされては本末転倒。
感じるがまま興味の方へ
正しさを奴隷にする
あなたが主人となり、あなたの理想の実現の為に、技術や物語を従えます。
宗教と同じです。それに従って生きるのか従えて生きるのか。
自分に都合好く解釈しなければ、それはただの重荷にしかなりません。ブッダは彼の教えに縛られる弟子たちに「船は川を渡る為のものだ。担いで歩くものではない」と説きました。
自分の責任の範囲内で自分の理想を実現させる為に、世界を都合好く解釈すれば良いんです。
「これができれば強くなる」という正しさへの執着心が、すぐそこにある可能性から注意を逸らせます。
子供の頃の寄り道を思い出してください。知らない道を敢えて通ったから多くの発見があったはず。近道だったり、ザリガニのいる池だったり、エロ本だったり。
その発見が心を育ててくれます。
何がきっかけになるかは分からない
ザリガニへの興味が原動力となり、自由研究に魂がこもる。すると先生から評価される。嬉しさからもっと研究に没頭する。ザリガニ→水生動物→動物→遺伝子…という風にその発見が連鎖反応を起こし思いもよらない扉を開くかもしれません。
エロ本が女性への興味を刺激して、モテようと努力させる。その熱量は回り回ってファションであったり、スポーツ、勉強へ向けられるかもしれません。
エロ本が学問に繋がるのは飛躍しすぎでしょうか。
ボクシングも同じです。何をきっかけに連鎖反応が起こるのか予測することはできません。それは彼女の何気ない一言かもしれないし、友達の苦言かもしれない。
あの技かっこいいとかあのディフェンスかっこいいとか。この練習は楽しくないとか楽しいとか。正しくやることよりも自分の心の動きを感じられること、その感情を素直に受け入れられることの方が成長には要求されます。
何が飛躍のきっかけなるのかは分からないから。
一々の感情や出来事を評価してイライラくよくよせず、それはどうしようもない運命として受け入れてしまえばいい。子供の頃はそうだったはず。だから成長できた。
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