時代からの要求
新たな世界観を創ろう
共通認識=常識
常識とは経済的合理、資本主義、民主主義、科学、日本人など、社会の大半がそれを理解しないまま無条件に合意し、正しいと受け入れてしまった幻想のこと。
社会に住む僕達が無自覚に持つ、社会への依存心。「誰かが自分たちの問題を解決してくれる」という無責任が具現化した怪物です。
ボクシングにも溢れかえっていて、ボクサーを操っています。
右対右、アッパーストレートフックという、ボクサーが無自覚に抱える「ボクシングはこうなのだ」といった世界観、マトリックス。決して誰かがこうだと決めた概念ではありません。ボクシングという群れから自然発生したものです。ボクサー各々が自分自身の人生の責任を放棄し、ジムやトレーナー、業界などの他人の意思に従って自らの責任感から逃れようとする行為、つまり個々のボクサーの依存心の集合意識が発生源となります。
ボクシングという同調圧力、固定観念はボクサーがボクシングに忖度した結果生まれてくる、実体のない虚構です。ボクサーの集合意識がボクシングはこうなのだと勝手に決めつけ、自らをそれを押し込んでいるに過ぎません。くだらない自縄自縛です。
出どころ不明の虚構は、世界中のボクシングを覆い尽くし、ボクサーの思考をコントロールしています。
なぜ無限に取りうる軌道の中から、一部の決められた軌道にこだわらなければならないのか。なぜ右か左にスタンスを決めなければならないのか。なぜジャブから始めなければなはないのか。なぜガードは高くなければならないのか。現実とこれらの虚構を比較してみてください。どれほど正しく現実を言い表せているのか、甚だ疑問です。
こうなってしまうのは恐らく、ジムの教義が現実のボクシングのことを話しているのではなく、誰かの依存心の話をしているからです。
技術的な合理性を説明できるような膨大な知識と経験を手に入れる努力はしたくない。だけどトレーナーとして尊敬されたい。頑張っていると思わせて指導者から褒められたい認められたい。これら依存心からマトリックスは生まれてきます。
You Tube、SNSの影響でジムのトレーナーよりも信頼されている人の数はどんどん増えているはずで、ジム全体が持つ「ボクシング」という共通認識は既に崩れ、若い世代から新たな世界観を取り入れ始めているはずです。
平井のような、これまでの常識にとらわれないスイッチヒッターは今後どんどん増えていくはずで、そうなると環境が変わり右対右を前提とした世界観は当然成立しなくなります。
左を制する者は世界を制する、という価値観は本質的な技術として残る可能性はありますが、一方でに古くなってしまう可能性も否定できません。
産業革命、明治維新など古い価値観にしがみついた人達は構造の変化からこぼれ落ちる利益にありつけず淘汰されました。
新たな価値観にぎゃあぎゃあ吐かしてる指導は淘汰されるでしょう。つきあって時間を浪費するのは緩やかな自殺。バカバカしいですよ。
コメント