あれもしたほうが良い、これもしたほうが良い、あれは効果がある、これは効果がある。このサプリは良い。この器具が良い。
ろくに考えもせず人生と可能性を浪費。拝金主義者に踊らされて現実が見なくなっている。
単純な世界をみんなで複雑にしてる。
ボクシングと哲学
単純さ=美しさ
【ジョージ・フォアマン】
Wikipedia
ボクシングで稼いだ金を更生施設の設立につぎ込むなど、社会奉仕活動を積極的に行う人柄が人々から慕われ、体格と人間的な器の大きさを讃えて「ビッグ・ジョージ」という愛称を持つ
フォアマンのボクシングは単純明快。きっと彼の世界観そのものです。好きか嫌いか、善いか悪いか。彼の人生において大切か、そうでないか。
フォアマンはシンプルな分かりやすい世界を見ているはずです。
フォアマンには何が自分自身の強さの源泉であるのか、勿論それは技術的、生理的な能力をを含むはずですが、それらのより一層深くにある、全ての根幹となる彼自身の哲学を熟知しているはずです。
好きか嫌いかに駆動された単純な感情の表出として、あえて2時間のバッグ打ちを選択しているのだと予想します。本能的に本質を見抜いてるとも言い換えられます。
哲学がなぜ必要か
今回フォアマンの話をしたのはサンドバッグ打ち2時間やれと言いたいのではなく、当然やりたければやってほしいですが、あくまでも自分の哲学から演繹された練習に取り組むべきだ、と言いたいのです。
哲学は経験によって自然発生的に構築されていくもので、それを目的にしてしまうのは本末転倒になる気がしますが、自分が誰なのかは知る必要があると僕は考えます。自分ではない誰かではなく自分自身の欲求の延長線上にあるものものを見極めてください。
自分自身が明確になれば要不要の判断が起こり、物事は単純化していきます。ただ「上手くなれば良い」では上手くなれないんです。
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