フローを起こす手続き記憶と哲学

トレーニング運動理論
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僕が「映像記憶」「言語記憶」「感覚記憶」と分類しているものがそのまま当てはまります。

僕はこれらの分類を知識としては知りませんでしたが、感覚的には知っていました。

脱抑制により感覚と知性が研ぎ澄まされていることを実感します。

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手続き記憶とフロー

考えるな感じろ

運動は手続き記憶。
自転車や自動車に触った瞬間の直感が分かりやすいと思います。
「乗りやすい」「乗りにくい」
考えるまでもなく感じることのできる真の判断です。

ボクシングの実戦中の攻防は考えることはできません。感じることのみができます。そしてその直感こそが真の判断です。

無心の自動システムが手続き記憶から再生すべき記憶を自動的に再生してくれます。時に創造性が発揮され記憶の再生以上のことが起こります。

頭の中から「言語を排除すること」と「自分を評価しないこと」。手続き記憶の再生を妨害します。

上記の二つが前提となる練習でなければいけません。一々自分で自分の動きを評価してもいけないし、トレーナーも選手に一々その評価を伝えてはいけません。僕は自分のトレーナーとして自分を楽しませることを最優先します。楽しいを正しいが追従する構造を考えます。

常にあなたの直感が主でトレーナーの意見は従であるべきです。トレーナーの経験や知識ではなく、あなたが”どう直感したのか”が正しい現実の認識だからです。
あなたが恐いと直感したならそうだし、詰まらないなら練習は見直すべきで、もっと楽しめると感じたならそこが進むべき道です。正しさで考えるから単純な世界が複雑に見えます。

何より、あなたの直感が先行しなければフローは起こりません。これはボクサー、指導者で共有されるべき前提だと僕は考えています。

トレーナーではなく、あなたのありのままを表現する行為がボクシングで、ありのままを表現しようとした時にフローが起こりポテンシャルが開放されます。誰にもその自由を奪わせてはいけません。

選手と指導者のジレンマ

長岡と僕のジレンマもそこです。
長岡は教えてほしい、僕は教えたくない。
正確には僕は抽象的な心構えや技術は教えますが厳密さは排除します。あくまでも彼のフローに任せています。
しかし長岡は自分を制御したい、その為に細かく教えてほしい。

僕は彼に、僕を含めた誰かの強迫観念に踊らされないだけの魂の獲得を優先してほしい。そしてその魂を表現することを楽しんでほしい。つまり彼の信念にボクシングを従えてほしいのです。しかし長岡はできる限り早く強くなりたい。それができるならボクシングに彼の魂が服従する形になってもいい。

僕もそうでしたから長岡の気持ちは理解できます。しかしそれと同時に物質や功利への依存心が彼の精神を自立から遠ざけ、真の勝利を手放すことも僕は経験的に理解しています。そして大半はその依存心から抜け出せなくなるのです。

物質主義的な追求は短期的にはもしかしたら効果を挙げるでしょう。しかし、長期的には足を引っ張るだろうと予想します。
魂の獲得が最優先。
自分が誰なのか分からなければ、真の判断が起こりません。何を信念としてどう表現したいのか。幸せと何か?世界の真理とは何か?という彼なりの答えがないと、場当たり的な判断が一貫性を失わせます。
一貫性のない戦略は資本の損失を生むばかりで利益を生み出しません。
よって勝利は遠ざかります。

補足
僕は臨機応変さを最重要視していますが、その臨機応変さは哲学により与えられることを前提としています。
足場のない臨機応変さは退路を断つ悪循環の起点になります。

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Die Hard – ダイ・ハード
この記事を書いた人

第41第東洋太平洋(OPBF)ウェルター級王者
元WBC世界同級34位
元WBO-AP同級3位
元角海老宝石ジム所属

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