サムネの画像は「時計じかけのオレンジ」という僕が好きな狂った映画の一場面です。
今回、70年代が生み出した傑作を再視聴して「やっぱりそうじゃないか」と感じたことをつらつらと垂れ流します。
歴史は同じことを繰り返してるとする長濱説です。
正しい生き方から、楽しい生き方を求める時代へ
長濱説
タクシードライバーなど狂ったように見える作品が70年代にヒットしたのは、この時代の若者の心には激化した競争社会や固定化された権力構造、唯物、能力主義的価値観への反発がくすぶっていたからだと僕は考えています。
恐らく現在でも似たような唯物主義、拝金主義への反発の萌芽が起こっていて、今後はヒッピームーブメントのような精神性を重視する文化が発展してくんじゃないかと。現在の米中冷戦の前後で僕のような「ありのまま」を提唱する人間、文化が増えていくはずです。実際に増えていると思います。その延長でそれを強調する哲学である仏教も。
あくまでも僕個人の予想ですが、これは歴史の雛形なんだとおもいます。競争社会、唯物主義の後に精神性を尊ぶ唯心主義へと振れ動く。
競争社会、物質的な豊かさを極めた古代ローマの後の中世ヨーロッパではキリスト教が栄え、「清貧」が尊ばれました。偶然ではないと思います。
ソ連が全盛期に共産主義経済圏を構築しアメリカに対抗しようとしたように、現在は中国が中東や南米を含めた新たな経済圏を構築しアメリカに対抗しようとしています。これは経済の分断と供給の遮断を意味するので、結果的にインフレに繋がります。
米ソ、米中のような超大国間の競争の激化が競争社会を助長し、その社会で精神をすり減らした若者の唯心主義的な思想の萌芽を助けるのでしょう。人類の性質から演繹される現象が記録された歴史は、過去ではなく今であり未来なのだと実感しています。70年代も現在のような強烈なインフレが起きてますし、面白いことに古代ローマも共和制から帝政へ移行した後に当時広く流通し通貨の役割を果たしていたデナリウス貨の銀含有率が低下しています。大量に鋳造(インフレ)したことが原因だと考えられます。
これらはグローバリズムの反動のナショナリズムという側面も持っていると思います。
【ヒッピームーブメント】
コトバンク
1960年代のアメリカで既存の道徳観や生活様式に反抗し,ひげや長髪をたくわえ,ジーンズや風変りな衣装を身につけ,ドラッグやサイケデリックなロック音楽,東洋的な瞑想を好み,定職につくことを拒否して放浪した人々を指す。 このヒッピー風俗は,カウンターカルチャー(対抗文化)とともに,大なり小なり世界中に広まった。
70年代の若者は社会に抑圧された個性を取り戻そうと藻掻きます。ファッション含めて強烈。
みんなで同じ格好をしたらそれは個性じゃないだろうってツッコミは無しです。
大半は哲学を持つ指導的な立場の若者に追従したに過ぎないので。
ヒッピームーブメント
Wikipedia
ヒッピー(英: hippie, hippy)は、1960年代後半にアメリカ合衆国に登場した、旧来の価値観や性規範に対抗するカウンターカルチャー の一翼を担った若者を指す。その運動がヒッピー・ムーブメントである。
話がそれました。
ヒッピームーブメントは国家間の覇権争いの延長線上にある強烈な競争社会が、経済的な合理性を「正しい生き方」として若者に押し付けた結果として起きた現象です(長濱説)。その反動として若者はドラッグや東洋思想に傾き、「楽しい生き方」を目指しました。
「時計じかけのオレンジ」は当時の社会的な価値観の反映で、だからこそ当時人気を博し今にまで語り継がれる名作に至ったわけです。
このメッセージに若者が共感したのだと思います。
歴史が繰り返すのだとすれば、価値観は精神性へ回帰していきます。
僕のように正しさではなく、楽しさを教えることが正しさを身につけさせるのだと、説く人は今後も増えていくでしょうし、それは競争社会と画一化された教育(生き方)への疲労、反発なのだと思います。
経済的合理性の名の元に「こうあらねばならない」を押し付けられた若者はその価値観に反発し、個性を重視しようとする価値観を形成します。
大国の経済的な競争激化がその遠因となっていると僕は考えていて、つまり僕の価値観もその現象として必然的に社会によって与えられたわけです。
僕が宗教、特に仏教へ傾いているのもヒッピーの思想と類似していて面白いと感じませんか。
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